9/9の研究会では、以下の二点について話し合いが行われました。
一つは、名詞文として提示された「蝶というもの」「蝶ということ」についての話し合いであり、もう一つは、「間違い探し」を行う意味についてでした。提示された名詞文については、何を基準として名詞文であるかないかを判断するのかが、参加者の間で明確でないため、次回、時間があれば、その基準を明確にすることから、再度話し合いを行うこととなりました。
「間違い探し」については、日本人は第二の性質しか見ないという田原先生の見解とつなげて、参加者それぞれが、考えるところを述べ合いました。
青山恒久
皆様、こんにちは。明日の研究会用に名詞文(かどうかはわかりませんが)を作りました。明日、話し合いの時間を多く取るには、事前にお伝えした方がいいと思い、以下に記します。
「蝶というもの」
形 平たさ 左右対称形
型 薄さ 浮揚型
薄く平たい翅を持ち、花から花へと移動する昆虫。翅は、左右対称形であり、多彩である。
「蝶ということ」
形 移動 摂取
型 相互依存 繁殖
蜜を吸うための、蝶の、花から花への移動は、花にとっては受粉の成立であるという相互依存の関係を成り立たせる。
青山恒久
作家の山口 恵以子先生。ごきげんよう。お忙しい時候に大変恐縮ですが、どうか、私の悩みを聴いてくださいませ。私には父親の違う2歳違いの妹がいます。彼女が非行に走りだしたのは、中学3年生の頃からです。暴走族まがいのボーイフレンドと、気にくわないレコード店にガラス瓶を投げ込みました。免許も無く乗りこなせもしないバイクに乗り、警察に補導されたこともあります。結婚相手も探す気がないのか、不倫もしました。介護に明け暮れる元妻から男を横取りして、偽装再婚した後で、飽きて離婚したこともあります。そんな妹ですが、私には唯一の家族です。父親の考え方を理解できれば、母親の呪縛から解き放たれる日が来ると甘く考えていました。正直に言えば、私自身、自分の人生を生き抜くことに夢中で、現実に目を向けていませんでした。ところが、妹と信じ込んで疑いもしない井本が、私の本当の家族ではありえない事実に直面しました。私の母親は、私の父親も常日頃「汚い」と拒絶しました。小学生のころ一度だけ、父母の性器を結合する場面を目撃したことがあります。母は、父の男性器を馬鹿にしくさって、「ほら!まだか?いかんか?萎みよるぞ」と罵倒しました。父親は自分の手で自分の性器をしごくのですが、「くそ!くそ!」と落ち込むのです。そんな父親の哀れな様子を、母親は嘲笑していました。そんな遠い記憶を、今更思い返すのは、父親の遺体を「汚いから触るな!」と私に命令した時からです。
第V期の9月1回目の自己カウンセリング研究会は
9月9日土曜日の16:30から18:30までです。
ニューズレター第1022号について話し合います。
抽象名詞文もお待ちしています。
皆様、お元気にお過ごしですか。
現在はオンライン参加形式です。
聴講ご希望の方はお知らせください。
8/26(土)の自己カウンセリング研究会で話されたことのまとめです。
出席者は計4名。
①人生案内では、相談者の脳の働き方をゼミで学んだ観点から捉え、実際に相談者にどうアドバイスをするかを各自意見を出しました。
相手の問題を自分の問題と捉える、からスタートしました。
②ニューズレター1026号についての話し合い。
例 めちゃくちゃおいしい、などの表現に見られる日本人の母系制について話し合いました。
言語は文法(語義や法則や人間の行動の仕方を作るという意味です)という普遍的なものですので、めちゃくちゃという皮膚感覚のクローズアップの一体化、同化をした音だけの意味で目の前の対象を壊して快感にしている、という田原先生の解説につながるテーマでした。
青山です。
参加者の方の中で、次回の研究会の最初の30分用に「人生案内」を提示出来ないかという連絡がありましたので、以下にアップします。ただし、特に話し合いたい話題がない場合に使って下さい。話題がある場合は、以下の「人生案内」は、無視して下さい。
同僚・友人と連絡断ったが…
40代の主婦。1年半前に長く働いた職場の人たちとの連絡を断ち、連絡先も消してしまいました。仕事はやりがいがあり、本当は続けたかったのですが、人間関係で嫌な思いをして辞めたのです。
地元の友人たちとも連絡を断ちました。小学校からの5人グル-プで、結婚して地元を離れましたが、年末などの集まりの連絡は来ていました。仕事で行くことができなかった時から、LINEで返信しても返事もなく、今年は年賀状も来なくなったからです。
最近、地元の地名を見るたびに腹立たしさとさみしさが同時にこみ上げるようになり、苦しいです。
友人や仲間は本当に必要でしょうか。嫌な人のことは忘れてしまいたいのですが、時々心の中に出てきて、怒りがわいてきます。心穏やかに生きていくためにはどうすればいいですか。
回答(山口 恵以子 作家)
私も友人がいません。高校の同級生、趣味の仲間、担当編集者、元職場の同僚など、親しくしている人はいますが、その人たちを「友人」と定義するのは、少し違うように思います。
友人とは、我がことのように相手の幸福を喜び、不幸を悲しむことの出来る存在です。果たしてそんな人、この世にいるでしょうか。
私なら自分が不幸に襲われたのに、相手ばかり幸運が訪れたら、きっと顔を見るのも嫌になります。
つまり友人とは、人が一生に一度出会えるかどうかの「奇跡の人」です。「ともだち100人できるかな」なんてありえません。「ママ友」は友達じゃないです。
だからみんな口では友人というけれど、その人の環境が変化するに従い、付き合う人間関係も変わっていくのではありませんか。
例えば、宝くじが10億円当たった人や、超玉のこしに乗った人は、貧乏していた時代の知り合いと付き合わなくなったりするでしょう。
だからあなたも、友人や仲間という存在をもっと気楽に「その時々で付き合って心地よい人たち」と割り切ってください。そして、今のご自分が一緒にいて気楽に過ごせる人と、穏やかに付き合っていきましょう。
8/12の自己カウンセリング研究会 ①自由な話し合い 新聞の人生相談について ②名詞文 ③ニューズレター1032号 次回は、②は、研究会参加者の書いて来られた名詞文か、または、田原先生の名詞文を書くための基礎講座の「概念思考の仕方の解説と説明」です。
皆さま、こんにちは。青山です。12日の土曜の研究会の最初の30分用に、以下の読売新聞の「人生案内」を載せておくことにします。12日の土曜は、この「人生案内」の内容について話し合おうということではありません。特に話し合うことがなければ、つかって下さいということです。12日につかうことになったとすると、読むために、ある程度の時間が必要になってしまうからです。
家族だけで父の介護 限界
50代後半の主婦。80代の父を同居している80代の母と2人で介護していますが限界を感じます。母は何が何でも家族で面倒をみたいと言い張ります。私は長女で、妹は遠方にいます。
父は認知症に加え、体重が70キロ以上あり、体を動かすのもやっとです。最近は転ぶ回数も増えてきました。
先日は自宅で転んだ父を起こしてほしいと、外出していた私達夫婦に母から連絡がありました。近所の人に頼んでと言っても見せるのが嫌だと言うので、2時間かけて帰りました。
ここ数日は便をオムツにして布団などを汚すようになりました。せめて週1度でもデイサービスに行ってお風呂に入れてもらおうと母に提案しましたが、そんなに邪魔なら2人で死んだほうがましだと言われました。
私も仕事はしていませんが、四六時中、家にいるわけにもいきません。どうしたらよいですか。
回答(山口 恵以子 作家)
どうぞ、この回答をお母さまに読ませてください。
お母さまのお名前が分からないのでA子さんと呼ばせていただきます。A子さん、どうぞご主人に週何回か、デイサービスに行ってもらってください。日常生活にヘルパーさんを入れて、オムツ交換で布団が汚れないように、サポートしてもらってください。
介護に看護婦やヘルパーなどの専門職の手を借りることは、今の日本では恥でも何でもありません。むしろ十分なサービスを提供されて、ご主人も快適だし、あなたやご長女のご苦労も緩和されます。
介護殺人の話は聞いておられますね?多くが家族丸抱えで世話をして、専門家のサポートを受けなかった家庭で起きています。
ご長女は50代後半です。もうすぐ還暦です。日々若くなるわけではなく、日々老いていくのです。もうご主人の介護は、体力も気力も限界に近づいています。
どうか、もう若くないご長女にご主人の介護を丸投げしないでください。ヘルパーさんやデイサービスを利用して「介護の輪」にいれてあげてください。このまま家族だけの介護にこだわれば、お宅の家庭は崩壊する可能性があります。
7月22日(土)の研究会の報告
①近況を話し合いました。
②提示された「視線恐怖 視線恐怖とは、目で見る方向にある対象とは何かを捉える知覚の認知が働かず、近づくときは内扱いで壊す事です。」について、意見交換を行いました。
「視線恐怖」の具体的な場面としては、「電車の中で、はす向かいに座っている人の視線が気になる場合、ぱっと見られると緊張してしまう場合」「自分の視線を見られるのが怖いという場合」等が挙げられ、又、「相手に熱い視線を送る」のように、視線が緊張や恐怖とつながるものではない場合も挙げられました。
「視線恐怖」という言葉については、視線は単に、対象を見る方向を表しているだけなのだから、それを、なぜ、「恐怖」と捉えるのかということが問題だという意見も表明されました。
③ニューズレター1033号の内容について話し合いを行いました。
「顧客の中には、売り手である自分の顔を見ない、自分の目を見ないという人はいる。自分は、自分の右目で、相手の右目を見るようにしている」「レジ打ちの仕事をしているが、顧客が、自分の言うことを全く理解しようとしていないと思える時がある」「日本人同士の間では、相手の目を見て話し続けようとすると、お互いが緊張を感じて、目を反らしてしまうことがあるように思う」等の意見が出ました。
文責 青山恒久
7月8日(土)の研究会の報告
①参加者各自の暑さ対策を述べ合いました。
②「こと」の意味は何かについて話し合いをおこないました。
「大根ということ」の「こと」、「私のことどう思ってるの」の「こと」、「そんなことするんじゃない」の「こと」に共通している「こと」の意味は何かについて話し合いです。結論は出ず、今後も引き続き検討することになりました。
※研究会のメンバーの中のお一人から、「視線恐怖」という題目の名詞文を提示していただいていましたが、ご本人が所用で欠席されたため、名詞文「視線恐怖」についての話し合いは、ご本人が出席なさった時に行うことになりました。
※名詞文は、次の研究会の時までに、各自が各自で題目を決めて作成することになりました。題目を一つ決めて、各自がその題目について名詞文を作ってくるのではありません。
③「1034号のニューズレター」の内容について話し合いを行いました。その内容にからめて、福島第一原発の処理水の海洋放出、メルケル元ドイツ首相やエストニア首相カヤ・カッラスの考え方、またイギリスのサッチャー元首相や田中真紀子について等、話は多岐に渡りました。
青山恒久