谷川うさ子の「今日の一言」掲示板
この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
みなさまの「社会性の知性の発達」(脳の発達)の道しるべとしてお役立てください。
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谷川うさ子
2016/09/02(金)10:34
修正時間切れ
ハイハイ、わかりましたと
いえば、多少は
女性と仲良くできるの
でしょうが、それは、
わたしにブリッコとか
フリをしろというような
もので、それが進歩とか、
成長といわれても
まるっきりピンときません。
女性としゃべると勝手に相手に
上から目線で見下した
ような言い方をする、
ズケズケとひどいことを言う、
という悩みをさしおいて、
女性に喜んでもらえる
ことを言う、他人のために
いいことを考えて実行する
ことは、わたしの心が
許しても、わたしの魂は
許しません。わたしの魂は
解き放たれません。
ポルソナーレの教えることは、
わたしにとってあまりにも
抽象的すぎてしんどいと
思っています。
(松山善二。35歳、男性、小売業の社員、大学卒)
●日本語の「動詞文」とは「自分はこう思った」のこと
「自分はこう思う」だから「自分がこう思ったとおりに行動する」ということが語られています。「自分はこう思う」とは、「女性と仲良くしたい」「好きな女性がいる」「会って話をすると相手の嫌がることを言い、相手が嫌がることを行なう」というものです。
「自分が思ったこと」のとおりに「行動する」というのが語られています。「自分はこう思う」とは、「女性と仲良くしたい」「好きな女性がいる」「会って話をすると相手の嫌がることを言い、相手が嫌がることを行なう」というものです。
「自分が思ったこと」のとおりに「行動する」というのが日本語(和語・ヤマトコトバ)の「動詞文」です。
「動詞文」とは、「話した」「行動した」(やった、やる、などの行為の表現)という言い方のことです。
●日本語の「和語」の動詞文は「食糧の独占」(女、子ども、老人を飢餓に追いやる)が根拠
この日本語(和語・ヤマトコトバ)の「動詞文」は、日本のもともとの「神話」の『瓜子姫』(今は民話)に起源があります。
『瓜子姫』(旧神話)は「食糧起源説」をあらわしています。世界のどこの国の神話も「食糧起源説」をあらわしていると、国語学者・大野晋は説明しています(『日本語はいかにして成立したか』中公文庫)。
日本語の「動詞文」とは、「自分はこう思う」の「動詞」をア、イ、ウ、エ、オの発声の「発音」を言葉にしたものの言い方のことです。
この「動詞文」は「内扱い」をつくります。
「内扱い」とは「動詞文の言い方を頑強にゆずらない」ということです。事例の相談者が「わたしの魂が許さない」とのべているのが「内扱い」です。この「内扱い」は「自分はこう思う」の「欲」や「欲の気持ちの欲求」を言いあらわしたものなので、「瓜子姫」の神話につなげると「食糧の独占」を意味します。日本語(和語)の当時の食糧は「クリ」「ドングリ」でした。
一万年の縄文時代は弥生時代とくらべると非常に人口が少なかったと推定されています。それは、限られた「食糧」を家長が独占したので、老人、そして必ず子ども、とりわけ女の子が餓死に追いやられたためです。「自分はこう思う」とは、「自分がこのクリ、ドングリを独占するぞ」という「動詞の表現」と同値しています。同値とは、別々の言い方ではあっても同じ内容を言いあらわしていて、同じ結果になる、ということです。
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内 容
ハイハイ、わかりましたと いえば、多少は 女性と仲良くできるの でしょうが、それは、 わたしにブリッコとか フリをしろというような もので、それが進歩とか、 成長といわれても まるっきりピンときません。 女性としゃべると勝手に相手に 上から目線で見下した ような言い方をする、 ズケズケとひどいことを言う、 という悩みをさしおいて、 女性に喜んでもらえる ことを言う、他人のために いいことを考えて実行する ことは、わたしの心が 許しても、わたしの魂は 許しません。わたしの魂は 解き放たれません。 ポルソナーレの教えることは、 わたしにとってあまりにも 抽象的すぎてしんどいと 思っています。 (松山善二。35歳、男性、小売業の社員、大学卒) ●日本語の「動詞文」とは「自分はこう思った」のこと 「自分はこう思う」だから「自分がこう思ったとおりに行動する」ということが語られています。「自分はこう思う」とは、「女性と仲良くしたい」「好きな女性がいる」「会って話をすると相手の嫌がることを言い、相手が嫌がることを行なう」というものです。 「自分が思ったこと」のとおりに「行動する」というのが語られています。「自分はこう思う」とは、「女性と仲良くしたい」「好きな女性がいる」「会って話をすると相手の嫌がることを言い、相手が嫌がることを行なう」というものです。 「自分が思ったこと」のとおりに「行動する」というのが日本語(和語・ヤマトコトバ)の「動詞文」です。 「動詞文」とは、「話した」「行動した」(やった、やる、などの行為の表現)という言い方のことです。 ●日本語の「和語」の動詞文は「食糧の独占」(女、子ども、老人を飢餓に追いやる)が根拠 この日本語(和語・ヤマトコトバ)の「動詞文」は、日本のもともとの「神話」の『瓜子姫』(今は民話)に起源があります。 『瓜子姫』(旧神話)は「食糧起源説」をあらわしています。世界のどこの国の神話も「食糧起源説」をあらわしていると、国語学者・大野晋は説明しています(『日本語はいかにして成立したか』中公文庫)。 日本語の「動詞文」とは、「自分はこう思う」の「動詞」をア、イ、ウ、エ、オの発声の「発音」を言葉にしたものの言い方のことです。 この「動詞文」は「内扱い」をつくります。 「内扱い」とは「動詞文の言い方を頑強にゆずらない」ということです。事例の相談者が「わたしの魂が許さない」とのべているのが「内扱い」です。この「内扱い」は「自分はこう思う」の「欲」や「欲の気持ちの欲求」を言いあらわしたものなので、「瓜子姫」の神話につなげると「食糧の独占」を意味します。日本語(和語)の当時の食糧は「クリ」「ドングリ」でした。 一万年の縄文時代は弥生時代とくらべると非常に人口が少なかったと推定されています。それは、限られた「食糧」を家長が独占したので、老人、そして必ず子ども、とりわけ女の子が餓死に追いやられたためです。「自分はこう思う」とは、「自分がこのクリ、ドングリを独占するぞ」という「動詞の表現」と同値しています。同値とは、別々の言い方ではあっても同じ内容を言いあらわしていて、同じ結果になる、ということです。
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