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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター
ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします!
───────────────────────────────── 谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!! 発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子 (第1期・133号) (令和元年6月13日) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
◎6月11日の「ポルソナーレ・自己カウンセリング研究会」の「研究会」(研修会・カンファレンス)でご提示していただいたフォーム(Form)の「コーチング」の続きを説明します。
◎「Ⅰ・主題」のテーマは、「視線恐怖というもの」でした。
「視線恐怖というもの」の「視線恐怖」の名詞文の名詞の実在性を説明する必要があるので、・・・その実在性を、「好きなものでないと、丸暗記できない」「目の生理的身体の目(視覚の感覚の知覚)は働いているが、脳の中の見る能力の認知(視覚の知覚の認知)は見えていない」、と「同一性」を説明していただいています。
この「同一性」とは、ゲシュタルト形態原理の目で見た、対象の内容のことです。対象の中心となる「型」(パターン)のことです。
「視線恐怖」という名詞の言葉を対象にするというときに、なぜ、「丸暗記」が同一性であるのか、というと、「恐怖」という言葉が虚偽の言い方であるからです。
目で見ている対象になぜ、「恐怖」という言い方をするのか、を問題にしています。
「こわい」とか「不安だ」などの言い方は、多くの日本人がごく普通に言います。
カウンセリングの現場で、なにがコワイのか、何を指して不安だと言っているのかと問いかけつづけると、そこには、なんの恐怖の事実もありません。
しかし、「こわい」・・・「だから、できない」と発言します。
この「こわい」「できない」の発言なり、「できない」のとおりの行動は、最近、社会問題になっている「中高年の引きこもり」「若い世代の引きこもり」の「引きこもり」にもあてはまります。
つまり、「こわい」(恐怖)とは、そこには「恐怖」という言葉の概念の意味する実体などはなにも無い、すると「こわい」などの言い方はその言葉の正しい意味のとおりのことを指し示しているのではなくて、「こわい(恐怖)」という言い方で、「近づかない、遠去る、関わらない」、など、自分の行動を言い表している、・・・これが、日本人の「こわい」(恐怖)の正しい意味です。
「視線恐怖」の「視線」とはなにか、といえば、それは、物事を目で見ている、という行動のことです。
目で見るということができない、当然、耳にも聞こえない、聞かない、が、「視線」の意味です。
では、「こわい」とか「不安だ」と考えたり、言葉で言い現したりする人は、目で、何を見ているのか、と考える必要があります。 |