谷川うさ子の「今日の一言」掲示板
この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
みなさまの「社会性の知性の発達」(脳の発達)の道しるべとしてお役立てください。
読むだけでは、情報の浪費になり、せっかくの情報を無価値にします。そこで、お読みいただいたら
[
ワンマンカウンセラー・コース(人間関係の能力づくり)
]
[
お試しカウンセリング
] [
カウンセラー養成ゼミ
] [
ゼミ・イメージ切り替え法
]
[
脳の働き方から変える新・性格教育法
] [
入会案内
]
のいずれかをクリックして、ごらんください。
なお、ご投稿は、「文章」に社会性があること、社会的責任が表現されていること、を基準にして受け付けます。
うさ子とクマ江の掲示板はこちら
[
トップページ
] [
新規投稿
] [
タイトルリスト
] [
スレッド一覧
] [
内容表示
] [
使い方
]
1
3
5
10
15
20
25
30
件ずつ
1
ページ目
and
or 検索
[6066-1]
こんにちは。ポルソナーレの田原です。 ◉日本人の認知症(痴呆症)の再定義について、そのⅤ。
谷川うさ子
2021/09/21(火)09:04
修正時間切れ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター
ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!!
発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=田原克拓
(第1期・923号)
(令和3年9月21日)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
こんにちは。ポルソナーレの田原です。
◉日本人の認知症(痴呆症)の再定義について、そのⅤ。
日本人が、なんとかこれまでやってこれたのは、認知症(痴呆症)を回避する動詞文の使い方があったからです。
それは、「外扱い」と「内扱い」の敬語体系が認知症(痴呆症)の脳の働き方の分岐点になっています。
「敬語体系」というものをただの尊敬語、謙譲語(形)の言葉、動作、行為の表象と考えるのは間違いです。
吉本隆明の晩年に関心を持った人には、この説明の意図がよく理解されるはずです。
ほとんど目が見えなくなっていた吉本隆明は、若い編集者が家を訪問してきたとき、正座して両手をつき、頭を深々と下げてお迎えの挨拶をしていた、また辞去の際にも同じように両手をついていた、と編集者が書いています。
「外扱い」の意識とは「共同性」とか「共同体」の自己意識のことです。
日本の国家でいえば「天皇制」の現す「規範意識」のことです。
個人のレベルでは「理論」や「演繹の概念思考」「論理の抽象思考」のことです。
これが「外扱い」の対象の形式というものです。
「美化されている日本の女性の心情」でいえば「恐怖」「畏敬」「敬愛」「親愛」という「女性の心情の能力」が「外扱い」です。
いつでも、どこでも、どういう境遇の立場であっても、正しい尊敬語、謙譲語(形)を言い表わせられる人は、認知症(痴呆症)に無媒介に転落しつづけることはありません。
それは、メールの文、会話での話し言葉、手紙の書き方、書類の文面、などに見て取れて、誰にもすぐに分かるように観察されます。
この「外扱い」の言葉、話し言葉、メールの文 、などがデタラメで、モラルにも欠けている人がすでに「認知症」(痴呆症)の人であるのです。
◎続きます。
>> スレッド[6066]を全て読む
修正投稿
名 前
アイコン
男の子
女の子
男性
女性
おじいさん
おばあさん
猫
犬
兎
鳥
魚
虫
花
苺
杯
管理人用
色
■
■
■
■
■
■
■
■
■
内 容
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!! 発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=田原克拓 (第1期・923号) (令和3年9月21日) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ こんにちは。ポルソナーレの田原です。 ◉日本人の認知症(痴呆症)の再定義について、そのⅤ。 日本人が、なんとかこれまでやってこれたのは、認知症(痴呆症)を回避する動詞文の使い方があったからです。 それは、「外扱い」と「内扱い」の敬語体系が認知症(痴呆症)の脳の働き方の分岐点になっています。 「敬語体系」というものをただの尊敬語、謙譲語(形)の言葉、動作、行為の表象と考えるのは間違いです。 吉本隆明の晩年に関心を持った人には、この説明の意図がよく理解されるはずです。 ほとんど目が見えなくなっていた吉本隆明は、若い編集者が家を訪問してきたとき、正座して両手をつき、頭を深々と下げてお迎えの挨拶をしていた、また辞去の際にも同じように両手をついていた、と編集者が書いています。 「外扱い」の意識とは「共同性」とか「共同体」の自己意識のことです。 日本の国家でいえば「天皇制」の現す「規範意識」のことです。 個人のレベルでは「理論」や「演繹の概念思考」「論理の抽象思考」のことです。 これが「外扱い」の対象の形式というものです。 「美化されている日本の女性の心情」でいえば「恐怖」「畏敬」「敬愛」「親愛」という「女性の心情の能力」が「外扱い」です。 いつでも、どこでも、どういう境遇の立場であっても、正しい尊敬語、謙譲語(形)を言い表わせられる人は、認知症(痴呆症)に無媒介に転落しつづけることはありません。 それは、メールの文、会話での話し言葉、手紙の書き方、書類の文面、などに見て取れて、誰にもすぐに分かるように観察されます。 この「外扱い」の言葉、話し言葉、メールの文 、などがデタラメで、モラルにも欠けている人がすでに「認知症」(痴呆症)の人であるのです。 ◎続きます。
削除する
管理者用パスワード
[2024/11/23 13:53] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板
管理人
谷川うさ子