谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
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[5174] こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。 ◎5月11日(土曜日)、4ヶ月目(フォームも第4ヵ月目)の「自己カウンセリング研究会」の「研究会」(研修会)の総括をお話しています。 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2019/05/16(木)20:40
[5174-1] こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。 ◎5月11日(土曜日)、4ヶ月目(フォームも第4ヵ月目)の「自己カウンセリング研究会」の「研究会」(研修会)の総括をお話しています。 谷川うさ子 2019/05/16(木)20:39
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ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター

ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信
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日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします!

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谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!!
発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子
(第1期・105号)
(令和元年5月16日)
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こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。

◎5月11日(土曜日)、4ヶ月目(フォームも第4ヵ月目)の「自己カウンセリング研究会」の「研究会」(研修会)の総括をお話しています。

◎「Ⅰ・主題」に、「視線恐怖」をご提示していただいたので、この「視線恐怖」を例にあげて、「フォーム」の書き方、完成のさせかたのモデルを、総括の内容にしてご説明しています。

●きょうも続きの説明をお話いたします。


◎「視線恐怖」という言葉は名詞です。

●名詞というからには、「視線恐怖」を概念として、その概念の意味を説明しなければならないというのが、世界の誰にも一致している見解の論理実証の考え方です。

●「視線恐怖」を命題にして、その意味を述べる、さらにその意味を「なぜならば」と証拠をあげて「証明」する、というのが、名詞を正当にあつかう学的な知性の立場です。

こういう考え方は、いちおう中学の国語の教科書に書かれているので、ポルソナーレだけの特殊な説明ではありません。

●「視線恐怖」という名詞の言葉の症状は、日本人だけに起きている特殊な病理の現象です。「対人恐怖」と同じカテゴリーであるので、欧米人には見られない精神病理です。

●この事実は、「視線恐怖」の「恐怖」という日本語(ヤマトコトバ)の言葉がそもそもおかしいのだ、ということになるのです。こういうことを先日までご説明しました。もっとも、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、長年、「視線恐怖」でも「対人恐怖」でも、その「恐怖」という言葉が「妄想の言葉である」と定義したのち、さらに「妄想ですらでもありえない」という現実の理解に至りました。

では「恐怖」という言葉はいったいなにか、というと、日本語(ヤマトコトバ)の「動詞文」が作り出した特殊な行動の仕方のことです。

●先日までご説明したように、日本語(ヤマトコトバ)は、動詞文で成り立つコトバです。

哲学の言い方をすれば、「日本語(ヤマトコトバ)は時間性の意識がつくる話し言葉」です。もともと書き言葉はなく、「発音の音声だけを言葉とする」というしくみになっています。

日本語は、ひらがな(仮名文字)のことではないのか、という意見もあるでしょう。しかし、このひらがな(仮名文字)は、漢字・漢語の「音読み」を発音に合わせて記号化した結果の文字です。漢字の形を借りて書きコトバを開発しています。

だから、ひらがな(仮名文字)も「時間性の言葉」です。こういう理解が大事なのです。どう大事なのかというと、ひらがな(仮名文字)で読む漢語の「視線恐怖」と書いても、つまり「視線恐怖」と名詞で書いても、これは「空間性の名詞の言葉」ではなくて、「時間性の言葉」である、という判断が大事であるのです。

●この「視線恐怖」という言葉が好例であるように、日本人は、仕事とか学問の言葉も、ことごとく「記号としての言葉」に変えて、自分の好きなように言葉の意味をセロテープで貼り付けるようにくっ付けてきました。

●「視線恐怖」にくっつけた意味は「こわい」です。ですが、この「こわい」にはなんの根拠もありません。正しい「こわい」の意味は、「自分の身体に危害が迫ってくる」です。

だとするならば、「人の目を見ることができない」「会話の際に相手の顔を見ることができない」などの「こわい」の意味は、不当というものでしょう。

ポルソナーレのカウンセリングの現場での経験をいうと、面談者のある人は、面談で向かい合うために椅子に座るやいなや、たちまち椅子を手で持ち上げてかたかたと真横に身体を動かして、誰もいない空虚に顔と目を向けて、あたかもそこにカウンセラーがいるかのように話す、返事もする、というのは、ここにはどういう「こわい」があるのか、と問われるでしょう。

[5174-2] 谷川うさ子 2019/05/16(木)20:40
   この人は、現実にはなんの「こわいこと」はないにもかかわらず、かってに「こわい」を作り出して相手に面と向かい合うことを避けているのです。

◎では、「こわい」とは、その当事者にとっての本当の意味はどういうことをさしているのでしょうか。

●先日は、日本人が仕事でも学校の勉強でも、言葉を憶えるときには、「丸暗記をおこなう」と説明しました。

●この「丸暗記」とは、時間性の言語領域でおこないます。「時間性の言語領域」は、食欲をおもに表象します。性欲も、食欲と同じように、「摂取する」・・・「自分の身体に触知させて感覚の知覚が快感に感じて、ドーパミンを分泌させること」のかぎりで「欲の対象」です。人間関係を成り立たせる意識はつくりません。

●これが日本人の丸暗記のしかたです。「ドーパミンを分泌させるもの、これを好きという」、丸暗記は好きなものに限る、その丸暗記の仕方は、なんべんも繰り返し、声に出す、手でなんども書く、すると、時間性の言語領域に「クローズアップのイメージ」が思い浮かぶだろう、するとドーパミンだって分泌するだろう、・・これが「好き」の構造なのだ、というのが、記号化の仕方です。

●「嫌いなもの」が丸暗記できないもの、です。「クローズアップのイメージを壊すもの」が嫌いなものです。ドーパミンの分子構造がノルアドレナリン(A6神経から分泌する猛毒のホルモン)に変えて、イメージ無しの行動を命じるのがノルアドレナリンです。「バッドイメージ」を表象します。

ノルアドレナリンは苦痛を伴うから嫌いであるのではなくて、ドーパミン=快感が無くなる=他者・・・他者とは、それが社会でも、組織であっても、自分は隷属しての行動しかおこなえない、だから「嫌い」であるのです。

これが人間の自由であると錯覚したドーパミンの快感での行動の仕方が無い、自分の望む自由とは、痴呆になって人に排泄から風呂、食べることまで世話をさせることだ、病気になっていつ死んでもまったく異存はない、今日死んでもいい・・・これが「好き」の定義です。

時間性の言語領域の意識とは、こういうものの考え方を生み出します。「時間性」とは、すぐに消滅して形が消えること、が定義でした。自分の身体も、時間性しか意識できないので、「すぐに死んでなくなるのが自分だ、それでもいっこうにかまわない」という考え方しかできないのです。

◎「視線恐怖」の「恐怖」とは、「好きなもの」ではないから「丸暗記」はできない、だが、「怒鳴る」とか「怒る」などをともなって自分の前に置かれているのではないから「嫌いでもない」・・・だから「ドーパミンを表象するであろうイメージがバッドイメージに変えられるようでもない」、だからといって「丸暗記」ができないから「好きになれるのでもない」、というときのものごとが「恐怖」の対象です。

●「恐怖」の正しい意味は、「丸暗記」のように、繰り返しの反復はしない、しかし、「嫌い」のようにイメージの壊しがあるのでもない、だから目の前に置かれているものを遠くから手を伸ばしておずおずと触るように表面的に撫で回す、そういう関わり方をしている対象についての性格づけ、というのが定義です。

●ちょうど、停電で部屋のなかが暗闇になったときに、手探りで、これはコップ、これはパン、これは鉛筆、とイメージして認知しようとする、それが「恐怖」の定義です。

だから、視線恐怖を言う人は、まちがいなく「目をつむっている・・・じかに目で見ていないものについてあーだこーだと作話症のことをしゃべる」、「うつむいて下のほうを見ている」、「あらぬ方を見ながらしゃべる」・・・これが、「視線恐怖」の「同一性」の本質です。


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[2024/11/26 05:20] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子