谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
みなさまの「社会性の知性の発達」(脳の発達)の道しるべとしてお役立てください。

読むだけでは、情報の浪費になり、せっかくの情報を無価値にします。そこで、お読みいただいたら
[ワンマンカウンセラー・コース(人間関係の能力づくり)]
[お試しカウンセリング] [カウンセラー養成ゼミ] [ゼミ・イメージ切り替え法]
[脳の働き方から変える新・性格教育法] [入会案内]
のいずれかをクリックして、ごらんください。
なお、ご投稿は、「文章」に社会性があること、社会的責任が表現されていること、を基準にして受け付けます。

うさ子とクマ江の掲示板はこちら

[トップページ] [新規投稿] [タイトルリスト] [スレッド一覧] [内容表示] [使い方]
件ずつ ページ目 and or 検索

[次の1件>

[3883] 読むだけで幸せになる手紙・「人と話すとき思いどおりにしゃべれない」の話し方 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2016/03/15(火)11:17
[3883-1] 読むだけで幸せになる手紙・「人と話すとき思いどおりにしゃべれない」の話し方 谷川うさ子 2016/03/15(火)11:17
          多くの日本人は、「人と話す」
       という話し方を知らない。
       電車の中でも、職場でも、
       学校でも、家族とも、
       「誰もがしゃべっている」。
       だが、これは、
       ほとんど「ひとり言」と
       同じしゃべり方だ。
       この「ひとり言」と
       同じしゃべり方が、
       要介護につづく
       周辺症状なのである。
       対策を教える。


《相談の事例》
 「わたしは、高2の女子です。
 友だちとしゃべっていても、自分の思いどおりにしゃべっている気がしません」
 (舟山香美(仮名)、17歳、高校生)

 わたしは、学校で友だちと話しているとき、いつも思うことなのですが、自分の言いたいことや自分の思っていることを話していないような気がしています。
 こんなことを言ったら相手の人が変な奴だと思うのではないか?バカにして見下すのではないかと思います。
 そのために、心の中で思っていること、考えていることをうまく言葉に出して言えません。
 思いきってこう言おうと思うことをしゃべると、自分で何を言っているの?何をしゃべっているの?とギクシャクしたものを感じてしまいます。
 どうしたらこんな、人とうまくしゃべれないという悩みが消えますか?

《ポルソナーレのカウンセリング》

 日本人の悩みというものは、多くが、「人と話すのがうまくいかない」ということです。
 これは、「人間の脳」の働き方のしくみということを理解しないと、なぜこういう悩みが起こるのかは、誰にも、永遠に分からないものです。
 学校や職場、家の中、あるいは、インターネットの交流サイト、電話などで「自分は、人としゃべるのに何の不都合もない」と思っている人は多いでしょう。

 しかし、家族の要介護の人がいるとき、学校に行かない人がいるとき、あるいは、ちょっと理解しがたい異常なことをしゃべったり、異常なことを行なう人がいると、ほとんどの人は、その人にたいして「何を言えばいいのか?」と、しゃべるべき言葉が一言も出て来ない「自分」に気づくでしょう。

 そして、自分が、相談の事例の舟山香美さんのように、「何をしゃべればいいの?」と話すことに不安を感じると、その日から、自分も「人としゃべること」という「話すという行動」が止まりはじめるのです。
 これが、日本人の認知症(痴呆症)の始まりです。
 
 日本語は、已然(いぜん)、未然(みぜん)という言いあらわし方で成り立っています。「自分自身にとって」という意味です。

[3883-2] 谷川うさ子 2016/03/15(火)11:17
   A・「友だちはいま、居るよ」
B・「友だちはいま、帰るよ」

 Aは、自分が居ると思ったから「居る」、Bは、自分が帰ると思ったから「帰る」という言い方です。Aは已然です。Bは未然です。
 そして、AもBも「よ」という助動詞がくっついています。この助動詞を、国語学者の大野晋は、「判断」の仕方であるといっています。この助動詞が日本人の「内扱い」をつくります。「自分だけが勝手に判断する」ので「内扱い」です。
 
 「脳の働き方」という観点からみると、日本語の已然と未然は、「名詞」や「形容詞」「抽象名詞」というものを「否定」することに本質があります。そして、「5W1H」に言いあらわされる「理由」「原因」「方法」などの「否定」を完成させるのが「助動詞」です。

 「人としゃべること」を「自分の思うとおりにしゃべる」というのは「わたしはこう思った」「わたしはこう見た」……「こう」「こう」「こう」……と「話すこと」をいっています。
 「相手がどう思おうとも、知ったことではない」「相手の考えなどどうでもいい」とするのが「自分の思うとおりに話すこと」です。
 今、自分の目の前に「相手」がいるので、たまたま「会話のような形」があるだけです。しかし、「名詞」を否定、形容詞を否定しては、ここには、何の人間どうしのつながりも社会とのむすびつきも成り立ちません。
 
 自分がしゃべるときに「助動詞」(内扱いをつくる自分だけの、人はどうでもいいとする判断)で「ですよ」「だろう」「らしい」「じゃないか」「みたい」「みたいな感じ」としゃべると、「相手」を壊すか、敵視するか、の結果にいきつきます。
 対策は、「○○は○○である」「○○を○○する」というように必ず、「名詞」と「助詞」そして「動詞」を話すことです。

 「ポルソナーレに入会して、特別の個人指導を受けました。必ず相手の顔、目を見て、話をおしまいまで聞く、というのが対策の基本でした。一ヵ月もしないうちに、会話の中で異常に緊張するのが治りました」
と、喜びの声を話すのは、舟山香美さんです。

◎くわしくはポルソナーレのメルマガでもごらんいただけます。
http://www.porsonale.co.jp/magazine.htm


<前の1件]


スレッド[3883]に返信
名 前
アイコン
 色 
内 容


[2025/04/20 14:34] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子