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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター
ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします!
───────────────────────────────── 谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!! 発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子 (第1期・208号) (令和元年8月27日) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
◎きのうは、8月24日(土曜日)に実施した、8月2回目のポルソナーレ「自己カウンセリング研究会」の「研究会」にご提示いただいた、フォームの「主題」の「視線恐怖というもの」に、「コーチング」のアドバイスをいたしました。
きのうのアドバイスの要点は、「視線恐怖」というコトバは、名詞ですが、この名詞は、日本語(ヤマトコトバ・平仮名のコトバ)がつくりだした「動詞のコトバの品詞の転位」である、これが本質である、と説明しました。
「視線恐怖」というコトバの意味は、だから、「こわいよー」という意味ではない、ということです。
こういうことは、ポルソナーレの「カウンセリング・ゼミ」で長い間、ゼミ生の皆さまとご一緒に考えてきたことです。ここで、誰も知らない知識として初めて公表するものではありません。
証拠は、大野晋の「日本語の文法を考える」(岩波新書)に「日本語の敬語体系」の説明として書いてあるとおりです。
問題は、「視線」という言葉は、名詞ですから、ここで、「視線の恐怖」という言い方をした場合に、視覚の知覚(視線の延長のうえにある自分が目で見た対象のことです)とは違うのものだ、と知的に判断できるかどうか、にあります。
区別して、分けて考える、という知的な意識があるか、どうか、です。
こういう区別する意識(ものの考え方)が、その人の性格です。
性格がよい、悪い、という問題は、ここからはじまります。
性格とは、人間として価値があるとか、無いとかを説くカントのいう、内面からの規律意識論(「純粋理性批判」に書いています)のことではありません。
現実の世界に参加できるかどうかの局面で、鬱病になるか、どうか、精神分裂病になるか、どうか、の問題が、性格ということの正当な意味です。
現実の世界とは、ハンナ・アーレントのいう「多数性の世界」「複数性の人間関係にかかわること」という意味です。
「視線恐怖」というコトバを、大野晋の「日本語の文法を考える」を読んでも、なお、「恐怖」とは、「こわいよー」「イジメられているよー」「悪口を言われたからしゃべりたくもないよー、びくびくするよー」というふうに理解しているとすれば、その人は、現実世界には、身体は、働かないと生活できないからという理由で、かろうじて参加はできてはいても、「自分の仕事」「仕事のなかの人間」「仕事についての業務の説明」などの言葉は、ひとつも理解できないのです。
多くの日本人は、こう言うと、「いや、自分は、もう10年も同じ仕事をつづけてきていて、ベテランなのですよ」と言うでしょう。
では、これと同じようなことを言った人が、なぜ、定年になると、認知症になるのでしょうか。あるいは、癌とか、引きこもりとか、子どもの虐待とか、親の虐待とか、会社のなかでのパワハラとかセクハラとかを起し、退職に追い込まれるとか、が起きるのでしょうか。
今、誰にもあてはまるのは、家のなかに鬱とか脅迫神経症などに人がいるにもかかわらず、家族のその人を放置して明らかな病理の症状を、成り行きに任せて、見ないふり、聞かないふり、その人は居ないと無視していることです。
現実世界とは、知識とイコールです。あるいは、理論と同じです。問題を解決するのが、現実という意味です。それが、世界性への参加、ということです。 |