谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


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[5204] こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。 ◎6月11日(火曜日)・第5ヶ月目の「フォーム」(Form)でご提示していただいた「Ⅰ・主題」の「視線恐怖というもの」の、「視線恐怖」という名詞の「同一性」(名詞の実在性)についての「コーチング」の個人指導をレクチュアーしています。 谷川うさ子 - 最新投稿 谷川うさ子 2019/06/14(金)19:41
[5204-1] こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。 ◎6月11日(火曜日)・第5ヶ月目の「フォーム」(Form)でご提示していただいた「Ⅰ・主題」の「視線恐怖というもの」の、「視線恐怖」という名詞の「同一性」(名詞の実在性)についての「コーチング」の個人指導をレクチュアーしています。 谷川うさ子 2019/06/14(金)19:40
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発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子
(第1期・134号)
(令和元年6月14日)
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こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。

◎6月11日(火曜日)・第5ヶ月目の「フォーム」(Form)でご提示していただいた「Ⅰ・主題」の「視線恐怖というもの」の、「視線恐怖」という名詞の「同一性」(名詞の実在性)についての「コーチング」の個人指導をレクチュアーしています。

●きようは、先日のつづきです。


「視線恐怖」という言葉は、日本人に特有の虚偽の言い方である、ということをご説明しています。

そもそも「恐怖」という言葉が欺瞞であるのです。


視線恐怖・・・この「恐怖」とは・・・「こわい」と言い方で、自分がげんに今、目で見ている対象に「近づかない」「関わりをもたない」「そういうものは存在しないと無視する」というところに「視線恐怖というもの」の「もの」の実在性の本質がある、と説明しています。


なぜ、「関わりたくない」「憶えたり、行動したりなどしたくない」・・・(仕事の言葉、勉強の言葉、病理の言葉、社会の言葉などが、関わりたくない、の対象です)・・・のでしょうか。


「視線恐怖だから家の外には出れない」「〇〇恐怖だから、行動できない」というふうに用いられているのは、よくご存知でしょう。

「こわい」には、必ず、家から出れなくなる、仕事には行けなくなる、を内包しています。


すると、「視線恐怖」という言葉は、これを延長すれば、その到達点には「引きこもり」があります。


●「引きこもり」とはなにか、といえば、これは、「社会」の位置から見れば、「雇用」の問題であるのです。


「引きこもり」(視線恐怖も)は、仕事とか、組織の雇用主の立場からみれば、「雇用できない人」のことです。


「引きこもりの人」がいくら、これこれこういう「こわい」の理由で仕事には行けない、と言っても、雇用する側は、「社会参加ができない脱落者である」という認識しかもちません。


もともと、「社会」・・・共同体を土台にした組織とは、「共同体に参加できない人間」ははじき出す、というふうになりたっています。


このことは、吉本隆明の「共同幻想論」(角川ソフィア文庫)に書いてあります。


●「共同体の行動に参加できない人間は、デンデラ野に捨てられた」(デンデラ野とは、死んだ人間がつくる疑似共同幻想の世界のことです)。


●ハンナ・アーレントは、「人間の条件」(ちくま学芸文庫)で、こう述べます。


「社会イコール組織とは、共通の目的にたいして、おなじ行動をあわらす共同体のことだ」

[5204-2] 谷川うさ子 2019/06/14(金)19:41
   「このような社会の本質にたいして、適合できない人間は犯罪者と同じ扱いを受ける。それが病理者の定義だ」

「だから、社会に適合できない人間は、当然のように、社会組織から追い出されて、追放される」。


◎哲学の説明をみると、人間が生きるとは、社会あるいは、「多数性、複数性」の共同体に参加することです。

●社会の支配者とは、行動の始まりと終わりとを支配する人のことで、格別に、権力で弾圧するという意味だけを意味しない。

支配者とは、社会に参加する人間のことである。社会参加とは、たんに生きていける、が、権力という言葉の定義であるにすぎない。


「引きこもり」・・・「視線恐怖」・・・「〇〇恐怖症」とは、社会に参加しない人間のことで、組織から脱落して、犯罪者とおなじよう組織から追放されていく人間のことである。


●「ひとりで生きてくなんてできないと・・・泣いてすがればネオンが、ネオンが染みる」(都はるみ、「大阪しぐれ」より)。

しかし、「丸暗記」を行う人は、「ひとりで生きてくなんてできない」とは考えません。


「視線恐怖」と言い方で、「丸暗記」の対象が目には見えていないのに、組織の中で常同症となった同じ行動を繰り返し、この繰り返しで、勝手に解釈したコトバのイメージを幻聴に変えて、「仕事で生きてくなんてどうでもいいわ」と肉体運動の快感から離脱できなくて、しだいに仕事の組織の外に出始めています。


身体は、今、仕事という組織に所属しても、すでに脳に思い浮かぶイメージは、仕事とは無関係な身体の痛み、なにも考えられない無思考の快感、自分だけが孤独、きょうも嫌がらせを受けた、・・・あれこれの現実の問題を思念しています。

◎日本人は、丸暗記で、多くの人が、テクノロジー(パソコン、スマホの画面を見ること)のつくる「疑似組織」から脱落して、「生きてくなんてできないと・・・泣いてすがれば嬉しや幻聴が招く」という社会不適合に突入しています。

◎「ポルソナーレの自己カウンセリング」は、脳の働き方を変えて、仕事の組織のなかで、あるいは、家族とか、身近な人間との対幻想の世界を、健全に生きてくために・・・を狙いと目的にしていることは、すでによくご存じのとおりです。


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[2024/11/26 03:03] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子