[3874-2] 谷川うさ子 2016/03/02(水)14:27 修正時間切れ
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Aは、「食べる」の一般論です。ふつう「現在形」といわれている形です。 Bは「食べる」という行為が成立しているし、同時に進行状態もあらわしているので「已然」です。 Cは、まだ「この野菜を食べていない」ので「未然」です。
D(問い)「わたしたちは、目でどんなことをしますか?」 E(答)「わたしたちは、目でこの部屋の黒板を見ます」
Dは、「目の働き」の一般論を尋ねています。したがって「已然」ではありません。 Eの答えは「未然」の言い表し方です。しかし、正しくは、一般論としての「目の働き方」を答えればいいので「見ます」とだけ言えばよいことがわかります。ここでの「見ます」は「已然」ではなく、一般論です。
F「友だちが、いま居る」 G「友だちが、いま帰る」 Fは「已然」です。話し手と友だちとは、同じ時間、同じ空間の中に立っているからです。Gは、友だちが同じ場面にとどまっていますが、やがて「帰るだろう」と「まだ」を言い表しているので「未然」です。
H「あの子はおやつを食べているのよ。あと少しで食事だからもうおやつは食べさせないでほしいね」 I「毎日、深夜まで働いていて、休日も働くのってとてもつよく精神力だね」 J「毎日、職場のブラックな状態を見ているのに、病人が出るまで放置していましたね」
Hの「已然」は「…ている形」です。「完了後の現状」をあらわしています。 Iも「完了後の状態」をあらわす「已然」です。 Jも「已然」ですが「現在の状態」をあらわしています。
この山下秀雄の日本語の已然(いぜん)と未然(みぜん)の説明で重要なことは、「自分自身にとって」という判断の仕方であるということです。 已然と未然の意味は「自分自身にとって」ということです。已然と未然は「動詞」、すなわち「自分の行動」を憶えるという脳の働き方になります。
日本語の構文では已然(いぜん)と未然(みぜん)が基本の表現形式になっているということは、「相手」とか「複数の人間にとって」ではなくて、「自分にとって」、を言いあらわすということです。 「相手」「複数の人間」のための言葉とは、「名詞」「抽象名詞」「形容詞」です。 すると、已然と未然の動詞中心の言葉は、ルール、決まり、約束にかんする言葉は「聞かない」「話さない」(省略する、無視する、忘れるということです)ということを本質にしています。 この「相手についてのことを話さない、聞かない。自分の動詞の言い表す言葉しかしゃべらない」というのが「内扱い」です。
人間の脳は「左脳」と「右脳」で成り立っています。 左脳と右脳は、共時して働きます。そして独立しても働きます。 |
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