[3883-2] 谷川うさ子 2016/03/15(火)11:17 修正時間切れ
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A・「友だちはいま、居るよ」 B・「友だちはいま、帰るよ」
Aは、自分が居ると思ったから「居る」、Bは、自分が帰ると思ったから「帰る」という言い方です。Aは已然です。Bは未然です。 そして、AもBも「よ」という助動詞がくっついています。この助動詞を、国語学者の大野晋は、「判断」の仕方であるといっています。この助動詞が日本人の「内扱い」をつくります。「自分だけが勝手に判断する」ので「内扱い」です。 「脳の働き方」という観点からみると、日本語の已然と未然は、「名詞」や「形容詞」「抽象名詞」というものを「否定」することに本質があります。そして、「5W1H」に言いあらわされる「理由」「原因」「方法」などの「否定」を完成させるのが「助動詞」です。
「人としゃべること」を「自分の思うとおりにしゃべる」というのは「わたしはこう思った」「わたしはこう見た」……「こう」「こう」「こう」……と「話すこと」をいっています。 「相手がどう思おうとも、知ったことではない」「相手の考えなどどうでもいい」とするのが「自分の思うとおりに話すこと」です。 今、自分の目の前に「相手」がいるので、たまたま「会話のような形」があるだけです。しかし、「名詞」を否定、形容詞を否定しては、ここには、何の人間どうしのつながりも社会とのむすびつきも成り立ちません。 自分がしゃべるときに「助動詞」(内扱いをつくる自分だけの、人はどうでもいいとする判断)で「ですよ」「だろう」「らしい」「じゃないか」「みたい」「みたいな感じ」としゃべると、「相手」を壊すか、敵視するか、の結果にいきつきます。 対策は、「○○は○○である」「○○を○○する」というように必ず、「名詞」と「助詞」そして「動詞」を話すことです。
「ポルソナーレに入会して、特別の個人指導を受けました。必ず相手の顔、目を見て、話をおしまいまで聞く、というのが対策の基本でした。一ヵ月もしないうちに、会話の中で異常に緊張するのが治りました」 と、喜びの声を話すのは、舟山香美さんです。
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