[3897-2] 谷川うさ子 2016/04/30(土)11:28 修正時間切れ
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発生の原因は、次のとおりです。 主な原因は、「母親が子どもの顔、目を見ない」「ソッポを向いてしゃべる」ことです。母親が、わざわざ子どもの顔、目を見ないで、ソッポを向いてしゃべると、その子どもは、「人と何をしゃべっていいのか分からない、全く話さない」という対人恐怖症をつくります。 「しゃべらない」「話さない」というように「話す」「見る」という「行動の止まり」をいつでもどこでも、誰に対してもあらわす「強迫行為」(神経症)の脳の働き方をつくります。 日本語は「動詞文」なので、母親が子どもの顔、目を「見ない」という「動詞」をあらわすと、子どもは、母親の状態、状況という「形容詞」で言いあらわされる言葉の現実を「見ない」というものの考え方をつくります。子ども自身の「目」「耳」の感覚の知覚(これも「動詞」です)は、「悲しい」「淋しい」「寒々しい」といったシク活用の「形容詞」をイメージして、「これが自分が見ている現実だ」と認知します。 ここへ、母親の言葉の「お前はバカだ」「お前は、ドジだ」「今、忙しいから後でね」「あっちに行って!おやつでも食べて、さっさと宿題でもやんなさい」ということを「ソッポを向いて、あらぬ方向を見ながら話す」と、子どもは、これを「耳」だけで「聞く」ことになります。「耳」(聴覚)は、ものごとを抽象化します。相手の顔、目を見ながら話を聞くと、目に見えるものが、手で触れるものの言葉である時は、「行動の目的」のイメージが思い浮びます。 しかし、母親がソッポを向いて話すと、子どもは「耳」(聴覚)だけで「行動の対象」を分かろうとします。「聴覚」は、ものごとを抽象化します。 すると、子どもは抽象的で、手で触れるようなイメージが思い浮ばないものは「行動の対象」にしないのです。 「行動」とは、「見ること」「話すこと」(動詞)です。 子どもは、ここで「話すこと」ができなくなるのです。
また、母親が子どもを非難すると、「話す」という最小限の「行動」(動詞)も止まります。 「母親が子どもの顔、目を見ない」(聞かない、話さない)のとおりに、子どもは、全く話さなくなります。 それが、「緘黙症」(かんもくしょう)です。 「ポルソナーレに入会して、特別の個人指導を受けました。 人と話さないというのは、相手の顔、目を見ない、耳だけで人の話を聞くことが根拠でした。耳だけで言葉を分かろうとすると手、指で触れる言葉、行動可能の言葉以外はみんな消えます。消える言葉の典型が『話す』という動詞であるということでした。 事務の言葉は、手で触れるし、目に見るものが多いので、聞いたり話すことができる、ということでした。 今は、対策を教えてもらったので、少しずつ人と話せるようになっています」 と、岩本香織さんは喜びの言葉を話します。
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