[3899-2] 谷川うさ子 2016/05/02(月)14:41 修正時間切れ
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「Y経路」(交感神経)は、対象とその置かれている状況、場面、局面を「見る」のです。対象の「形容詞」で言いあらわされる「言葉」とその対象を「見る」のです。 「母親が、子どもの顔、目を見ない」というのは「形容詞」(5W1Hで言いあらわされる内容。ゲシュタルト形態で言いあらわされる内容です)を「見ない」、子どもも「形容詞で言いあらわされる内容を見ない」(見ることができないという脳の働き方になる、ということです)のです。 すると、子どもは、ここで「悲しい」「辛い」「寒々しい」「淋しい」といった「シク活用」をイメージします。これが「強迫観念」のつくられ方です。 母親がチラッと見たということを経験した子どもは、「人の目が気になる」という強迫観念をつくります。 母親がソッポを向いて「どうしようもない子だよ」と言うと、これを聞いた子どもは「人が自分のことを悪く言っているようだ」という幻聴を中心とする強迫観念の脳の働き方をつくるのです。
母親が子どもの顔と目を見て、「お父さんは、自分勝手な人でね、お母さんは、いつ離婚しようかとばかりを考えていたんだよ」と話すと、子どもは「強迫行為」(神経症)の脳の働き方をつくります。 「見る」「聞く」の感覚の知覚は、日本語の「動詞文」のためにX経路(副交感神経)が強力に働いて、「母親の顔、目」の一点に焦点を当てて部分を拡大し、皮ふ感覚と一体化するクローズ・アップだけの働き方になります。 「攻撃的に動く」「一体化するように行動する」という動詞文の「動詞」の言いあらわし方になります。
これが「強迫行為」です。「仕事」「勉強」「資格の受験」「学歴のための勉強」という対象があれば、その対象に焦点をあててX経路で、触覚と一体化します。 動詞文の「動詞」は「見る」「聞く」ですが、この「見る」「聞く」の動詞のかわりに「憶える対象の言葉」を言い表します。これを「動詞の名詞化」といいます。一般的には、「丸暗記」もしくは「憶える」といわれています。 一方、対象がないのに「行動」のみをくりかえすのが「強迫神経症」です。 「対人恐怖症」では、「不潔恐怖症」とか「ゴミ集め」「入浴しない」「徘徊」などといわれます。
強迫神経症は、「恋愛」「結婚」「子育て」「介護」「家庭生活」の中であらわれるのです。 だから「強迫行為」と「強迫神経症」は同じカテゴリーの症状です。
ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、現ゼミ生の皆様の厚い御支持をいただいて、大正時代以降、謎であった日本人の対人恐怖症の実体を明らかにすることができました。 また、要介護状態の原因と理由を明確につきとめることができました。 厚く御礼を申し上げます。 お伝えしている対策、改善策も合わせてお役立てください。 |
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