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平成28年5月度・ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、日本人の誰もが抱える「強迫」という脳の働き方をレクチュアします!!
ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、日本人の誰もがつくっている「強迫観念」の実体である「強迫」ということをレクチュアしています。 わかりやすくするために、最近、たてつづけに起こっている事件から「強迫」のしくみを説明します。
わかりやすくいうと、日本人がふつうに話している話し方に「ステキじゃないですか」「……をしてあげたいじゃないですか」「とってもいいじゃないですか」という言い方があります。 この「ステキじゃないですか」の「ない」は、否定語です。「無い」と書きます。 この「無い」が「肯定」の言い方として話されます。「肯定」とは「有る」ということです。
日本人は、何かについて「肯定する」とは「無い」と言います。 これは、比喩とか何ごとかの言い換えとして言っているのではありません。大野晋の『日本語の文法を考える』(岩波新書)には「この『ない』は形容詞である」と説明されています。誰もが知るように形容詞とは、ものごとの状態とか、様子とか形容される現象についての言葉のことです。 日本人は、「有るもの」(存在するもの)を「無い」と言います。
この「無い」が「強迫観念」の「強迫」です。 何が「無い」のか?というと「見ているもの」「触っているもの」「聞いているもの」(対象)を言いあらわす言葉の「抽象名詞」「形容詞」で言いあらわされる言葉が「無い」のです。 だから「どこに、どんなふうに有るの?」「いう、どこで、なぜ、どういう理由であるの?」といった問い(質問)には全く答えられません。 「そんなことには答える必要はない」(これが否定です)と誰もが考えています。 そして「いいじゃないですか」「ステキじゃないですか」と『正しく』、「ない」と言いあらわします。
では、何について「有る」と認知しているのでしょうか。 「今、げんに目で見ている」「今、げんに耳で聞いている」「今、げんに触っている」というときの五感覚の「感覚の知覚」について「有る」とイメージしています。 「いいじゃないですか」「ステキじゃないですか」というときの「ない」は「有る」という形容詞です。 冷たい、熱い、赤い、白い、うまい、いい香り、重い、などといった「感覚がとらえている知覚」はその対象と関わったので、「これは、自分自身にとって確かなことだ」、だから「有る」と、対象をイメージしています。
このような日本人の脳の働き方は、「母親が子どもの顔、目を見ない」(子どもはいない。自分の頭の中に子どもはイメージされている。だから、自分の脳の中のイメージによって子どもは有る)というように子どもに関わります。 この母親の頭の中に思い浮ぶ子どもの姿、顔は、「強迫観念」の「強迫」です。 この子どもは、学校でもどこでも「人の顔、目を見ない」でしょう(友だちは有る、目の前の友だちはいない)。 子どもも強迫観念をつくります。 |