谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


この「谷川うさ子の今日の一言」と「掲示板」は、「ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ」と、
そして、「現在の日本の社会情勢」についてインフォメーションするコーナーです。
みなさまの「社会性の知性の発達」(脳の発達)の道しるべとしてお役立てください。

読むだけでは、情報の浪費になり、せっかくの情報を無価値にします。そこで、お読みいただいたら
[ワンマンカウンセラー・コース(人間関係の能力づくり)]
[お試しカウンセリング] [カウンセラー養成ゼミ] [ゼミ・イメージ切り替え法]
[脳の働き方から変える新・性格教育法] [入会案内]
のいずれかをクリックして、ごらんください。
なお、ご投稿は、「文章」に社会性があること、社会的責任が表現されていること、を基準にして受け付けます。

うさ子とクマ江の掲示板はこちら

[トップページ] [新規投稿] [タイトルリスト] [スレッド一覧] [内容表示] [使い方]
件ずつ ページ目 and or 検索

[3911-1] 日本人が「強迫観念」でつくる病理「ストーカー男に刺されて重傷を負ったアイドル女性事件」「騒音トラブル・隣人襲撃事件。兵庫県尼崎市母娘襲撃殺人、東京都江戸川区アパート1階の男性が2階の男性を襲って殺害」 谷川うさ子 2016/06/02(木)14:37 修正時間切れ
平成28年5月度・ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、日本人の誰もが抱える「強迫」という脳の働き方をレクチュアします!!


 ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、日本人の誰もがつくっている「強迫観念」の実体である「強迫」ということをレクチュアしています。
 わかりやすくするために、最近、たてつづけに起こっている事件から「強迫」のしくみを説明します。

 わかりやすくいうと、日本人がふつうに話している話し方に「ステキじゃないですか」「……をしてあげたいじゃないですか」「とってもいいじゃないですか」という言い方があります。
 この「ステキじゃないですか」の「ない」は、否定語です。「無い」と書きます。
 この「無い」が「肯定」の言い方として話されます。「肯定」とは「有る」ということです。

 日本人は、何かについて「肯定する」とは「無い」と言います。
 これは、比喩とか何ごとかの言い換えとして言っているのではありません。大野晋の『日本語の文法を考える』(岩波新書)には「この『ない』は形容詞である」と説明されています。誰もが知るように形容詞とは、ものごとの状態とか、様子とか形容される現象についての言葉のことです。
 日本人は、「有るもの」(存在するもの)を「無い」と言います。

 この「無い」が「強迫観念」の「強迫」です。
 何が「無い」のか?というと「見ているもの」「触っているもの」「聞いているもの」(対象)を言いあらわす言葉の「抽象名詞」「形容詞」で言いあらわされる言葉が「無い」のです。
 だから「どこに、どんなふうに有るの?」「いう、どこで、なぜ、どういう理由であるの?」といった問い(質問)には全く答えられません。
 「そんなことには答える必要はない」(これが否定です)と誰もが考えています。
 そして「いいじゃないですか」「ステキじゃないですか」と『正しく』、「ない」と言いあらわします。

 では、何について「有る」と認知しているのでしょうか。
 「今、げんに目で見ている」「今、げんに耳で聞いている」「今、げんに触っている」というときの五感覚の「感覚の知覚」について「有る」とイメージしています。
 「いいじゃないですか」「ステキじゃないですか」というときの「ない」は「有る」という形容詞です。
 冷たい、熱い、赤い、白い、うまい、いい香り、重い、などといった「感覚がとらえている知覚」はその対象と関わったので、「これは、自分自身にとって確かなことだ」、だから「有る」と、対象をイメージしています。

 このような日本人の脳の働き方は、「母親が子どもの顔、目を見ない」(子どもはいない。自分の頭の中に子どもはイメージされている。だから、自分の脳の中のイメージによって子どもは有る)というように子どもに関わります。
 この母親の頭の中に思い浮ぶ子どもの姿、顔は、「強迫観念」の「強迫」です。
 この子どもは、学校でもどこでも「人の顔、目を見ない」でしょう(友だちは有る、目の前の友だちはいない)。
 子どもも強迫観念をつくります。



[2025/03/19 04:25] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子