[3911-3] 谷川うさ子 2016/06/02(木)14:38 修正時間切れ
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ブログにしろ、ツイッターにせよ、画面の像を「見ている」ときは、「行動の成立」を意味します。「見ている」の「ている」が成立の表現です。 仕事にしろ、勉強にしろ、「ディスプレーを見ている」という時は、「自分は行動している」という強迫神経症が成立します。 リアルの対象が無くなると強迫神経症の「行動のみ」が破壊の行動をあらわします。 「ストーカー男性」は、ブログの書き込みを拒否されて、「聴覚中心」の「母親殺害」の娘と同じ「有る」(アイドル女性が)に向かって破壊の行動をあらわしたのです。
これは、「昔イジメられた。復讐してやる」「親から言われたヒドイ言葉、ヒドイ仕打ちがまだ忘れられない」という強迫神経症と同じカテゴリーにあるものです。
すると、要介護状態の中で「入浴しない」「トイレに行けない、排せつを人任せにする」などの症状も、「有る」というイメージ(強迫)をつくっていて、行為(行動)だけをあらわすという強迫神経症であることが分かります。 ブログ、ツイッターなどの画面を見て「有る」(見ている)と了解している人は、やがて強迫神経症のみの行動となり、「自分」も「他者」(生活の中の人々、および生活の秩序)を壊す日に向かっているといえるのです。
ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、対策もレクチュアしています。 ここで説明していることが自分にとっても危機であると思い至れば、改善は容易です。 ぜひ、そのように人間としての心の目、心の耳に届いてほしいものだと思っています。 |
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