谷川うさ子の「今日の一言」掲示板


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[3912-2] 谷川うさ子 2016/06/03(金)11:38 修正時間切れ
 この、一方的に、しつこく大声でしゃべる、相手が話すと火に油をそそぐようにますます怒鳴りつづける、という行動と、「騒音を出す人間を襲う」という行動は、同じ脳の働き方です。「強迫神経症」といいます。
 ポルソナーレの定義する「強迫」とは、「行動の対象」(仮の行動の目的)ということです。
 架空のイメージです。
 作為的に作った「行動の目的」です。
 これが「強迫」ということの実体です。
 なぜ、多くの日本人は「聴覚中心」の「強迫」をつくるのか?というと、「目で見る」という「視覚」と「耳で聞く」という「聴覚」の中枢神経は脳の中の「視床」(ししょう)で隣接していて、セットになって働くというしくみになっているからです。

 「外側膝状体=視覚」「内側膝状体=聴覚」というしくみで、聴覚が働けば、同時に視覚の神経も働くしくみになっています。
 しかし、「視覚」は「遠くのものを秩序立ってとらえる」のにたいして「聴覚」は「近くのもの」しか分かりません。
 だから「聴覚中心」とは「視覚」のイメージに置き換えられます。「聴覚」は「視覚」のイメージをつくります。ものごとを大きく、クローズアップでイメージする、手で触っているかのように、ものごととの関わり方を認知する、という性質をもっています。

 日本語は「動詞文」です。「動詞」だけでものごとを分かり、行動します。「動詞」だけで「行動する」とは、「行動の目的である対象」の「名詞」「抽象名詞」「形容詞」を「無い」と認知するということです。
 「いいじゃないですか」「ステキじゃないですか」の「ない」は「無い」です。「無い」は「有る」のことだから「無い=形容詞」に変わって、「肯定表現」をおこないます。このときの「有る」は、「架空のイメージ」についてのことです。
 「ステキ」「いい」の言葉が架空です。「強迫」のイメージです。

 5月19日の午前2時45分ごろ、アパートの1階の男性(73歳・加害者)が、2階の男性(54歳・被害者)を襲い、拳銃で射殺しました。
 この加害者の男性は、2階の男性の出す騒音を聞いていました。
 「聞いている」ときは「騒音は無い」という「架空のイメージ」が思い浮んでいたのです。
 「無い」とは「名詞」「抽象名詞」「形容詞」の言葉の言いあらわす対象が「無い」ということです。2階の住人の生活状況、音の原因の事情、生活態度や行動の状態といったことを言いあらわす言葉が「無い」と認知します。1階の加害者は、「こういうものは無い」と考えました。日本語の「動詞文」は認知も認識もしないからです。
 
 「騒音がする」と聞こえているときは、加害者の男性はパッと反応して、自分も音を立てたり、声を出したり、ひとり言でののしり、攻撃的な言葉を発語したでしょう。
 騒音の対象は「無い」ので、反射的に反応して、「破壊の行動」をあらわしたのです。この行動が強迫行為といいます。
 多くの日本人は、相手が話していないときに、自分から話題を出して話しかけることはしません。
 「自分から話しかける人」は、正しい知識をもっている人か、もしくは、「虚偽の疑似知識(デタラメの言葉)をもっている人」のいずれかです。
 「いや、わたしは、身近な人に自分から話しかけていますよ」という人は、「相手の顔、目を見ないで、ソッポを向いてしゃべる」ことをおこなっている時です。「ひとり言」のしゃべり方です。「相手はいない」(いいじゃないですか、の『無い』です)という脳の働き方になっています。頭の中に「架空の相手」を思い浮べます。その架空の相手を目的にしてしゃべっています。

 「自分から積極的にしゃべる人」で、話す言葉がデタラメである人は、相手が生きようが死のうがどうでもいいという関わり方をしています。架空のイメージ(強迫です)は行動だけを強迫神経症として成り立たせます。
 対象の人間が、子どもだろうが親だろうが、恋人、家族であっても「無い」と認知しています。
 アパートの1階の加害者の男性は、「騒音が聞こえているとき」は、「2階の住人は無い」とイメージしました。「騒音」という対象を壊すために攻撃的な行動をあらわしました。
 それは、一人でしゃべる、一人でののしる、一人で「音」に対して「無くなる」まで話す行動です。
 この行動を強迫神経症といいます。口、手足、耳の感覚の知覚だけが自動的に働くという「行動」が強迫神経症です。

 1階の加害者は「騒音がしない」という状態のときは「有る」のイメージを表象します。思い浮べるということです。
 このイメージは、「有る」のイメージです。生活の中の行動や生活の中の物、道具、家具を使うときに発生する音です。ひとくちにいうと「騒音」です。実際は何の音もしていないのに架空のイメージとして視覚のクローズアップの形、姿、人物増が思い浮びます。
 犯行の当日、5月19日の午前2時40分ごろです。2階の住人の被害者の男性は寝ていました。



[2025/03/19 00:23] 谷川うさ子の「今日の一言」掲示板 管理人 谷川うさ子