[3913-2] 谷川うさ子 2016/06/04(土)13:31 修正時間切れ
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いわれれば「なるほど」と分かると思いますが、「吹いている」という動詞は、「風」という名詞、もしくは抽象名詞、そして形容詞は「無い」と認知します。「吹く」という知覚(読む、聞く、触る、などが知覚)はある(有る)、しかし、「風ってどういうもの?」「どういう様子や状態?」「どういう季節の自然現象で、湿度、温度、速さはどういうもの?」……形容詞、抽象名詞、名詞は「無い」とするのが日本語の「動詞文」です。
岩崎容疑者は、ブログ、ツイッターの「画面」(ディスプレー)に、冨田さんの画像、コメントの文、文章をテクノロジー通信で表示させました。これを目で見ました。 「リンゴは丸い、赤い」を言いあらわすように、形、色は「有る」、しかし「富田真由さん」は「無い」という関わり方をおこなったのです。 「有る」からしつっこく見る、読む、という行動をあらわします。しかし、「富田真由さん」は「無い」から「嫌な女だ」「腕時計を返せ、早く返せ」と、「有る」の「強迫のイメージ」を目的にして「行動」しました。「行動」とはツイッター、ブログへのしつこい書き込みのことです。
「有る」という「強迫」のイメージは、ロックのいう「第二の性質」がつくります。 右脳の「視覚野」「聴覚」がつくり出すイメージです。「第二の性質」とは、色、形、形状だけがつくるイメージです。いびつに歪み、ねじれ、サイケデリックに奇怪にねじまがったイメージが思い浮びます。こういうものを「有る」と確信して「これが冨田真由さんだ」と行動の対象にしたのです。このイメージのとおりに関わろうとすると、「嫌な女だ。殺してやる」という破壊の行動になるのは、日本人なら誰もがおこなっているので珍しいことではありません。
右脳の聴覚野も、ロックのいう「第二の性質」しか聞こえません。 「電話番号を教えろ」「返された腕時計を見て、差し出し人の名前を見た(読んだ)」、すると、「タクシーで帰った。ストーカーなんかしないけどな」(ブログへの書き込み)、「返してきたから憤慨した」(警視庁調べ)と変わったのは、「待ち伏せ行為は無い」「差し出し人の名前は無い」、「有る」のは「自分を避けて逃げて行った」「富田真由と発音する表音文字である」という「強迫」のイメージだったのです。
「スマホ」「パソコン」「デバイス」の画面(ディスプレー)を過度に「見る」とは、画面に見える(聞こえる)対象は、第二の性質(ロック)は見える、だから「有る」、しかし、画面の「像」「文字」「文」「文章」の内容は「無い」という「強迫」が完成しています。 そして岩崎容疑者が冨田真由さんも「殺してやる」と、わざわざ京都から新幹線に乗って上京した「行動」のように、「現実」の中の社会的に正しいルール、きまり、約束のあらわす「実体」を壊しています。 仕事、人間関係、生活、心身の健康の全てが「殺してやる」という無意識で毎日、壊されているのです。
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