[3918-4] 谷川うさ子 2016/06/28(火)10:27 修正時間切れ
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その他の意見は、「母親は、誰かれかまわずグチを言いたいだけだ。何を言ってもムダ」「必要なことをやっていればやりたいこともO・Kにすればよい」。 ■ポルソナーレが、日本人の脳の働き方から明らかにした「強迫」とは、この事例に即していうと、「こんなクズ、産まなきゃよかった」(母親)、「子どもに今すぐ謝れ」(回答者の女子大の学長)、「正気の沙汰じゃない」(ネット投稿者)、「親が謝ったら状況が改善するのか?」(ネット回答者)、などの「話し方」(聞き方)のことです。これらは「自分はこう思った」「自分はこう見た」(読んだ)「自分はこう聞いた」という動詞文の「動詞」による表現です。
■なぜ、これが「強迫」なのか?というと「発言」(すなわち『行動』のことです)の「対象」の「中3の息子」「高3の娘」「母親」「学校の勉強」「スマートフォン」「ゲーム」といった「名詞」(抽象名詞、形容詞も)が『無い』という扱い(関わり方)になっています。「自分にとっての行動の目的(対象)」として「こんなクズ」「息子に謝れ」「こんなことを言うのか」ということが思い浮べられています。
■「強迫」とは、「自分はこう思った」「自分はこう見た」「自分はこう聞いた」という『感覚の知覚』を「動詞」として言いあらわすときに、「名詞」で言いあらわされる対象(本来の行動の対象)が「壊されること」、「自分が恣意的に作り上げて『これが対象だ』と勝手に作った目的(対象)をイメージすること」をいいます。
■事例にみるように、言葉で批難したり、悪く言ったり、敵意をあらわすことを発語(発生)すると、「母親が子どもを排除する」「女子大学の学長が、母親を排除する」ように、社会秩序、倫理としての行動秩序が「破壊される」のです。
■この「社会秩序」「倫理としての行動秩序」を壊す「行動の仕方」が「強迫神経症」です。 ここでは、「Ayukoさん」がおっしゃるとおり、目的(対象)として「有る」のは、「ゲーム依存の中3の男の子」(母親の強迫)、「中3の男の子をクズ扱いする母親」(女子大の学長の強迫)であり、これらの「クローズアップとして視覚のイメージ」が表象します。
このような「強迫のイメージ」が「高1長女による母親殺害事件」「兵庫・尼崎市の騒音襲撃殺人事件」「東京・江戸川区の騒音襲撃殺人事件」「ストーカー男・アイドル女性襲撃刺傷事件」「中2女子の2人の手つなぎ急行電車飛び込み心中事件」(東京・品川区)などの「行動の目的」となっています。
◎「Ayukoさん」のもうひとつのお尋ねにお答えします 「相手、他者にたいしてアンバランスな捉え方しかできないというリスクを回避するためには、どういうコミュニケーションをとることが大切か?」(肯定面、否定面の両方をバランスよく公正に捉えるとは、どういうコミュニケーションのことか?)
■お答えいたします 分かりやすい例をあげます。国語学者の大野晋は、『日本語の文法を考える』(岩波新書)の中で、日本語の「敬語体系」を説明しています。
A・「貴様」「御前」…外扱い(尊い方。神様の前) B・「キサマ」「オマエ、テメエ」…内扱い(バカヤロウのののしり言葉、言いなりになって逆らうな)
Aは、名詞(抽象名詞)の概念としての「社会秩序」「倫理」(モラル、日常の行動秩序)です。 |
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