[3922-2] 谷川うさ子 2016/06/28(火)14:27 修正時間切れ
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たとえば、「女子高校生がソファで寝ている母親の首をタオルのようなもので絞めて殺害した」という事件があります。 多くの人は、日本人の間では、たくさんの「なぜそういうことをするの?」と思えるような事件がひんぱんに起こっているので、すぐに忘れて気にもとめないようです。なぜ、気にとめないのか?というと、これはこれで非常に重要な問題をつつみこんでいます。 ポルソナーレは、「なぜ、寝ていて無防備な母親の首を絞めて、女子高校生が殺害するのだろうか?」と注目します。 あれこれと、つきつめて考えてみますと、ここには日本人だけに特有のものの考え方があることに気づきます。 日本人に共通する「性格のプロフィール」です。 日本人に共通する「性格「です。
この「性格」について誰もがよく知っていることを説明します。 「貴様」(きさま)という言葉があります。「キサマ」と発声し、発音します。 この言葉の意味は、もともとは、「殿様」など社会的に地位の高い人に呼びかけるときの言葉でした。 このことすらも知らない人はたくさんいるでしょう。 この「貴様」は、今は、「バカヤロウ」とか「ふざけるなよ」といったふうに、なれなれしく相手を軽んじて、対等か、見下した言い方に用いられています。 これは、「社会的なマナー」とか「社会的な秩序関係」を無いものとみなし、ぶち壊すことがおこなわれているということです。
同じように、「御前」(おんまえ)という言葉は、もともとは、「神様の御前」が正しい意味でした。「御霊前」とか「御供養」といったことと同じ意味です。 それが、「お前」(オマエ、テメエ)というように使われています。 支配するぞ、言いなりになれ、逆らうな、といった言葉に変えられています。このことに気づく人もいないでしょう。「お前」と言われて喜ぶ人もいるし、ことさらに好んで「オマエ」「テメエ」「テメエら」と言う人もいます。 「倫理を破壊する」ということが、日常的にあたりまえにおこなわれているというのが日本人の間に共通しています。 これが、日本人の「性格」のプロフィールを形成しています。 「倫理って道徳のことでしょ」「宗教の言うことでしょ」と言う人は多いでしょう。 ハンナ・アーレントや吉本隆明の哲学では、倫理はモラル、モラルは道徳、宗教とか国の権力が人をシバるために押しつける行動秩序のことだとは言わないのです。 道徳(倫理)は、たしかに公園にゴミを散らかさないようにしようとか、電車の中で、大声で会社の悪口を言うな、とかの言い方として用いられます。これも「モラル」です。
もともとの倫理の発生の場面は、「共生」とか「共存」にあります。病気の人も、老人も、幼い子どもも、元気な人も、誰もが、安心して安全に生きていくために力をさしのべる、お互いに支え合うというのが「共生」です。相手に気づかい、相手の幸せとか喜びを自分も喜ぶ、というのが「共生」です。そういう毎日、毎日の暮し方が「共存」です。 山登りにみんなで行くときは、いちばん力の弱い人にペースを合わせて、歩調を同調させて仲良く進んでいくでしょう。 それが「共存」というものです。 このときの「行動の秩序」が「倫理」(モラル)です。
「貴様」(キサマ)「御前」(オマエ、オメエ、テメエ)は、大野晋(国語学者)によれば日本語の「敬語体系の中の言い方である」と説明しています。 「貴様」(尊い方)、「御前」(神様の前)は、「外扱い」の言い方だということです。 「キサマ」「オマエ」「テメエ」は、「内扱い」の言い方だということです。 「内扱い」を好む人、喜ぶ人は、「貴様」「御前」のもつ本質の「社会的な秩序」や「共生」や「共存」の正しい意味の「倫理」(モラル)を壊すことを「言葉」で言いあらわす「性格」のプロフィールを特徴にしています。 |
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