[3925-3] 谷川うさ子 2016/07/05(火)14:11 修正時間切れ
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日本語の「発声音中心の読み言葉」(訓読み)は、発声音の音と字とが一致しているので漢字の合成語(熟語)も読むことが可能になっています。 だから日本語ではディスレクシア(読字障害)は、日本人が英語の単語を発音するときに起こります。日本語の文、文章を読むときには発生しません。 しかし、例えば「上る」「登る」「昇る」を「訓読み」で読めても「上下」「登山」「上昇」(音読みは、ジョウゲ、トザン、ジョウショウ)の「音読み」も可能でも、もともとの音読みのもつ語義(字義。概念としての意味です)は、「訓読み」の読み方(発声)が否定します。
「訓読み」は、「解釈する」ということです。 その解釈は「読めること」「書けること」のことです。 「上」(ジョウ)、「登」(ト)、「昇」(ショウ)のそれぞれの意味も、「ジョウ」「ト」「ショウ」と読むことで、完成して、それぞれの「のぼる」ことの違いや内容は「無い」とみなされます。 これが、日本人の「学習障害」です。
こういう説明を目にしたり、耳にしても「何を言っているの?」と全くピンとこない人は多いでしょう。 このような説明は、「目で見る」「耳で聞く」「手で触る」ということは、脳の中でどういうしくみになっているのか?が分かると、よく理解できます。 視覚、聴覚、触覚というのですが、これらの機能は、動物一般によるものと人間の意識によるものとの二つで、二重になっています。 どちらも自律神経の交感神経が働くことで正常に働きます。 日本人の使う日本語は、「人間の意識が見る、聞く、触る」という働き方は副交感神経しか働いていないのです。それが日本語の「動詞文」です。 日本語(和語・ヤマトコトバ)は、副交感神経(視覚神経のX経路のことです)が働いています。 上下(ジョウゲ)、上昇(ジョウショウ)、登山(トザン)の「音」を訓読みと同じように「読むことはできる」とするのは、目、耳、口のX経路です。 「上」(ジョウ)「登」(ト)「昇」(ショウ)の音読みの語義(字義)を分かるのは、目、耳、口のY経路(交感神経)です。 目、耳、手、指のY経路が働いていないので「上」(ジョウ)「登」(ト)「昇」(ショウ)の「意味は無い」と否定します。 「無い」とみなすのです。 これが日本人の学習障害です。
出口汪(ひろし)は『国語が変わる』(水王舎)にこう書いています。 「2020年から大学入試が大幅に変わる。マークシート方式から記述式に変わる。 知識詰め込み式から課題解決型に変わる。 これからのグローバル化時代では、世界の中の多種多様な人と生きていかなければならない。 そのときに必要なのは論理的な思考能力である。 国語が、全教科の土台になる」。 |
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