[4028-3] 谷川うさ子 2016/07/28(木)13:57 修正時間切れ
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日本語の特異性は、「漢字」「漢語」は「訓読み」と「音読み」の二つを並列していることにあります。 「漢字」「漢語」の読み方は「音読み」が「字義」「語義」を表します。 たとえば「花」という漢字は「はな」と訓読みで読みます。
辞書には、「植物の生殖器」の意味が書いてあるでしょう。 この「花」の「字義」「語義」は、「花弁」(カベン)「花葉」(カヨウ)、「花軸」(カジク)、「花梗」(カコウ花柄(カヘイ)と同じ)、「花被」(カヒ)のカテゴリーにあるものです。このように「漢語」による「名詞」とその説明を見て「花」(はな)(訓読み)の説明も正しく明らかになります。 しかし、「花」(はな)の訓読みだけが解釈すると「花」(はな)とは「上辺だけ」「見かけの立派なこと」という「解釈」が言いあらわされます。
「それで何の不都合がある?」と誰もが思うでしょう。 「花」のもともとの「字義」「語義」の「植物の生殖器とそのしくみ」という対象の説明が消えてしまうことになるのです。 これが「学習障害」の本質の問題です。 これは仕事、学校の勉強にあっては「5W1H」で言いあらわされる「いつ」「誰が」「何を」「なぜ」「どのように」といった「対象」の内容を不問にします。
すると「自分は変わらない」「現実と環境は変えようがない」という障害をつくり出します。 ひいては、日々の生活の中で「自分の行動の対象(目的)」も思い浮ばなくなります。 このような脳の働き方を中心にさまざまな「学習障害」の病理症状をつくり出しているのが、多くの日本人です。 「花」(はな)の例のように「花弁」「花葉」「花柄」と正しく「名詞」とその内容を学習するのが「学習障害」の対策です。 |
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