[4110-3] 谷川うさ子 2016/08/05(金)11:31 修正時間切れ
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たとえば「手を何度も洗う」とか「しつこく嫌がらせのメールや電話をかける」などが「強迫」とその行動です。強迫神経症といいます。 「強迫神経症」によって他者に向かって攻撃的になる人、ならない人の違いは、「解釈」したことが仕事や学校や日常生活の中の「名詞」と「抽象名詞」にむすびついているかどうかの差によります。
「相模原障害者施設襲撃事件」の植松聖容疑者は、もともと学校の教職が志望でした。教師になるための教育実習もおこなっています。 同施設で働くようになったころは「障害者はかわいい。教えればできるようになる」と友人らに話しています。やがて、「どうして言うことやこっちの気持ちが通じないのかな」と「障害者」という行動の対象への「解釈」が変化します。 そして「もうそろそろ疲れた。限界だ」に変わりました。 「訓読み」による「解釈」が見ている対象のイメージを発声、発音の聴覚で拡大すると、必ず、批判や否定、排除といった「触覚のつくるイメージ」と同義になります。 やがて「視覚」や「聴覚」が「動物の目」(耳)の働き方だけになり、社会的なトラブルを起こすようになるのです。
このような説明は、「学習障害」という理解だけが可能にします。もちろん、この事件の容疑者の動機や原因も明らかにします。 すると、対策も明らかになります。 「学習障害」というしくみや行動の支障は、程度の差の違いだけで、数多く起こっています。 ポルソナーレのカウンセリングは、相談を受け付けていて、改善の成果をあげています。 |
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