[4251-2] 谷川うさ子 2016/08/31(水)10:14 修正時間切れ
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国語学者の大野晋の説明する日本語のしくみは「メタ言語」です。同じように、山下秀雄も、鈴木孝夫も、吉本隆明も「メタ言語」を説明します。 当然、ヘーゲルの説明する「精神現象学」もハンナ・アーレントの説明する『人間の条件』も「メタ言語」です。 ポルソナーレは、「脳の働き方」(言葉の生成のメカニズム)から日本語(和語・ヤマトコトバ)を説明するので、「メタ言語」をお話しています。
メタ言語から「日本語」をとらえると、「日本語とは、和語・ヤマトコトバのひらがなの言葉」のことです。 日本語は、言語のカテゴリーでは「言語」であることはまちがいありません。 しかし、「漢字」のつくる言葉の『漢語』に対して「和語=訓読みはヤマトコトバ」というのは、「言語」としては不完全であることをいいあらわしています。 その不完全さとは、日本語(和語・ヤマトコトバ)には、「抽象名詞」が無く、「名詞」も無いことを指します。
「家」「米」「花」「犬」「猫」は、「名詞ではないのか?」と思う人もいるでしょう。また、大野晋は、「淋しさ」とか「憂さ」とか「わびしさ」は、日本語(和語)の抽象名詞であるといっているではないか?と思う人もいるでしょう。 これらは、「品詞の転成」といって、ア、イ、ウ、エ、オの発声の「発音」を品詞(言葉)にしたものです。 ポルソナーレのゼミの学習をつづけてきて、御支持をいただいている方々には、「概念としての名詞ではない」「概念としての抽象名詞ではない」という説明を理解していただけるはずです。
非常に多くの日本人は、「社会の現実」や「社会性のある日常生活」、「恋愛や結婚などの社会性のある人間関係」は、全て、いっさいが「名詞」「抽象名詞」でつくられていることを不明としています。 これはじつに驚くべきことです。 「名詞を知らない」「抽象名詞など、見るだけで気分が悪くなる」と思い、目をそむけているにもかかわらず、「仕事には行く」「恋愛もしたがる」「結婚ぐらい、カンタンにできるんじゃないか」「子どもを産むのは誰でもやっているんだから、産めば淋しくなくて幸せなんじゃないか」と、「名詞」「抽象名詞」のつくる共同とか共生の関係の中に、歩みも軽やかに突入しているからです。
知らないことが何かの問題になるということはありません。 日本人の心身の病気は「知らないこと」ではなくて、「名詞」や「抽象名詞」を目にしたり、口にしたり、耳にしているにもかかわらず、その経験の局面で「名詞を無視する」「抽象名詞をウソっぽく作り変えて、いびつに歪めてしまう」ということに根ざしています。 これは、日本語(和語・ヤマトコトバ)が、どんな「品詞の言葉」も「動詞」ひとつで作り、粘土工作のように作ってしまうことに理由があります。これを「品詞の転成」といいます。 国語学者の大野晋が説明しています。 |
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