[4644-3] 谷川うさ子 2016/12/29(木)14:24 修正時間切れ
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●吉本隆明『共同幻想論』。「憑人論」「巫女論」が教えること
吉本隆明の『共同幻想論』の「憑人論」や「巫女論」などを見ると、その理由がよく見てとれます。 ある村の人が遠野の町で、見知らぬ旅人に会った。 この旅人は、話した。 「あの家には、こういう病人がいる」「あの家では、こんなことが起こっている」などと、一つ一つの家の中のことや人間に起こっている心配事を話す。 それは、この村人がかねてから知っていることばかりだった。 驚いて「どうしてそんなことが分かるのか?」と尋ねると、それは、おれが小さな白い狐(きつね)を持っているからだ、と答えた。 村人は、その白い狐を買い取った。 村人はその日から、よく当る八卦置きになって大金持ちになった。 だが、何年か後には八卦が当らなくなり、元の貧乏な生活に戻った。 (『遠野物語』柳田国男)
この白い狐は「いづな」といって、長野県の飯綱が起こりだといわれています。 「いづな」とは狐のことです。山の神が特別に能力を与えた狐で、「占い」のような超能力をもっています。 吉本隆明は、この狐は、村の共同幻想の象徴であり、やがて、この狐の代わりに「女性」が超能力を発揮していく、と説明しています。 この説話は、日本語のつくる「時間性」の世界の行動と行動の仕方をあらわしています。 欧米人は、空間性の世界でbe動詞やsein動詞で「対象」の名詞や抽象名詞を捉えます。しかし日本人は、「村」とか「家」とか「道路」とか「水の供給」「橋」といった空間性の実在が「共同の観念」を存続させている中で、日本語(和語)には概念としての名詞も抽象名詞もないので、「女性」が「偽の名詞をつくった」「作為としての抽象名詞をつくった」ということが語られています。 女性が「視索前野」(視床下部)で母親から学習した言葉が「狐」や「巫女」などの語る言葉の象徴です。 いいかえると、母親は子どもの女児に、自分の強迫観念や強迫神経症の言葉を、「狐」や「巫女」の話す言葉のとおりに今も、なお話しています。 これが日本人の「要介護状態」の背景にあるのです。 |
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