[4655-2] 谷川うさ子 2017/01/06(金)14:59 修正時間切れ
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昭和になると、社会保障制度とか三世代同居などで「60歳」になると「家」から追放されて山とか無人の野に建てた寒々しい小屋に一人で暮らせと見捨てられることはなくなりました。 しかし、日本語(和語)のもつ認知症(痴呆症)の生成のしくみは、昭和が平成になっても何も変わってはいません。 ふつう一般的に「認知症(痴呆症)」というと「もの忘れのことだ」、「いや単に忘れるというのではない、体験したことを忘れることだ」といわれています。 こういう説明を聞くと、多くの人は安心するはずです。 「仕事に行って、ちゃんと与えられた業務はこなしている」「日常生活の中の入浴、食事、歯みがき、洗濯などは行えている」、「家計の管理もしっかり行えている」という自分の記憶や行動を裏付けにしている安心です。
●誰もが「自分には関係がない」と思っています
しかし、だからといって、「自分は認知症(痴呆症)にはならない。要介護にはならない」と絶対の確信をもてる人は、誰もいません。 なぜならば、厚生労働省の発表する「要介護者」は、すでに600万人を超えて増えつづけているからです。 男性は、187万人、女性は430万人という内訳です。 この要介護者の男性、女性の人々も、仕事に行っていたし、日常生活も正しく行なっていたはずです。 それは、「自分はだいじょうぶ」と信じているあなたと同じで、変わりはありません。 では、あなたのどういうことが同じであったので、ふだんの日々の中にあらわれる認知症(痴呆症)が、ある日を超えたときから要介護をつくり始めたのでしょうか。 わかりやすいのは、あなたの「こだわりの行動のパターン」です。「こだわりの行動のパターン」とは、あなたに奇妙な安心を感じさせる行動のくりかえしのことです。 「無意識の観念の運動」といわれています。 ルーティーンのように、儀式化した行動をおこなっていれば、それが日本人の認知症(痴呆症)の病理症状です。 いわれてみると気づくでしょうが、何も考えずに、ロボットのようにプログラム化された動き方だけを行なっていれば、楽だ、安定感を感じる、何の不安も思い浮ばない、という意識がつくり出されるでしょう。 これが日本人にだけ特有の認知症(痴呆症)の症状であるとは、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミ以外、誰も言いません。 日本人の心身の病気には程度の状態ということがあります。 ほんのちょっとの症状があるときに、これは、何かをできない苦痛を感じると思えば、その症状を理由に一切の行動を中断するでしょう。あれが嫌だ、これも嫌だと思えば、行動を止める理由になります。 |
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