[4691-2] 谷川うさ子 2017/01/29(日)15:41 修正時間切れ
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奇妙なことに、「困っています」という相談はおこなっても、話を聞くとその瞬間からアドバイスなりの言葉に、「でも」「いや」「それはできない」「そういうことは聞きたくない」と発言が起こります。 発言しなくても、同じ相談の内容をくどくどとなんども同じことを話しつづけるとか自分がいかに辛い思いをしているかを話します。 これが日本人の心・精神の病気の特徴です。 「それは、たいへんお困りですね。さぞお辛いでしょう。では、また、いつでもご相談なさってください」と対応するよりほかはないのが日本人の心・精神の病気の特質です。
●日本人は、心・精神の病気で生きています
おそらく日本人のこのような心・精神の病気は、日本人の歴史が始まってからずっとこのようなものであったのです。 「病気を抱えながら生きている」というのではなくて、「病気の症状があるうちは、ものを食べられる、たまにはおいしく感じることもある」というのが日本人の心・精神の病気のもつ意味です。 病気の症状があるうちは仕事に行けることもある、一日何度か食事もできる、最低限テレビはおもしろく観れる、もっといいことには、ケータイやスマホ、パソコンをとおして偽(ぎ)の社会、偽(ぎ)の人間関係とのつながりをもっているので努力とか訓練といった辛いことからも解放されている、ということを可能にしています。 これが日本人の心・精神の病気の実相です。
●日本人の心・精神の病気とは「認知症」(痴呆症)のことです
日本人の心・精神の病気とは、時代と社会で症状ごとに呼び方は変わっても、ひとことでいうと認知症(痴呆症)です。 この認知症(痴呆症)は、「食べ物を食べる」「テレビを観る」「ケータイやスマホ、パソコンをとおして一日を過せる」ことを可能にする病気です。 しかし、ポルソナーレの考察するところでは、この日本人の心・精神の病気は、「がん」で「余命いくらいくら」という生存の期間と同じ生き方をつくります。 『共同幻想論』(吉本隆明・角川ソフィア文庫)をテクストにすると、次のようなことが分かります。 日本の未開の人は、ある日パッと死んでいた、古代人は、なんとか60歳までは生きていた、現代人は、70歳くらいから「要介護状態」になっても「まだ生きられる」というように「生存を可能」にしています。 メタ言語(脳の中で言葉のつくられ方のしくみ)からみると、日本人の認知症(痴呆症)は、「名詞」「抽象名詞」を全く記憶しないことがつくり出す病気です。
●ごあいさつとご案内
今回の第11ヵ月めの『谷川うさ子王国物語』(Ⅴ)は、日本人の心・精神の病気とは「認知症」(痴呆症)であることと、対策の改善の仕方を説明しています。 予防や対策に関心のある人にとっては、決定的にお役に立ちます。 |
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