[4694-2] 谷川うさ子 2017/01/31(火)15:20 修正時間切れ
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しかし、現実の人間は「アプリ」とか「ネット情報」のように自分の好みで選択したものではないので、相手が立つ立場から言い表わされることが話されます。 ここで精神分裂病の第一期の病理症状があらわれます。 「相手が話しても自分は沈黙して黙って聞くだけ」の聞き方になります。 脳の働き方は「しゃべっている相手の声、および断片的な動詞や名詞」を刺激して受けとるだけです。 相手が自分にとって興味のないこと、関心のないことを言っているなと思えば、目の前の人間に反撥する象徴としてのイメージを思い浮べるでしょう。 ここでは、「わたしはこういう嫌なことを言われた」「わたしは、こういう辛い目にあって、今も不快感がいっぱいだ」としゃべるでしょう。 相手が自分に多少でも好意をもっているなと察知すれば、「バーバリズム」(ひとり言のように果てしなく飛躍して、独演会のようにしゃべりつづける。ソッポを向いてしゃべりつづける、わざわざ相手の顔、目を避けて、この人物は自分の話を聞いているか?どうかだけをチラと目で見て確かめながら話しつづける=バーバリズム)という分裂病の第一期の症状があらわれます。
「仕事をしているときに全く別のことが思い浮び、眠くなるか、逃避のイメージを思い浮べて浸る」「学校の授業で教師の話すことが何も耳に入ってこない」「クラスの中で、人前で話すと全く言葉が出てこない」というように分裂病の第一期の症状が広がります。
●認知症(痴呆症)が分裂病の症状をつくります。そのしくみ
これが、日本人の認知症(痴呆症)がつくり出す「取り憑き」(憑依・ひょうい)という精神分裂病の病気です。 吉本隆明の『共同幻想論』(角川ソフィア文庫)をみると、「遠野物語」の民間伝承譚(たん)に「狐に憑いた」「狐の予兆の話を聞いた」というエピソードがいくつも紹介されています。 「われは、古ヶ峰の由緒ある狐であるぞ」(35歳、女性、古着行商の夫の妻) この女性は、夫にイバリ散らし、酒を持って来い、うまい飯を持って来いと尊大にふるまい、出されたものをガツガツと何も言わずにむさぼり喰らいます。 精神科医にイバリ散らし、看護人にも召し使いのように使役させます。
この「狐」は、「占い」や「予兆」を話したり、あるいは「人を騙す」というように、社会の規範、法、秩序を象徴して人間の「行動の目的」を指し示します。 ポルソナーレがこの「狐」を解説すると、「品詞の転成」による「動詞の言葉」がつくった「偽(ぎ)の名詞、抽象名詞」のことです。 吉本隆明は「狐は共同幻想の象徴である」と説明しています。 共同幻想も名詞も、抽象名詞も全く同じものです。 日本語(和語)は「動詞文」の「動詞」しかつくれないので、共同体(現代では「社会」、国の政治社会のことです)を言いあらわす名詞、抽象名詞の言葉を全く分かることができないのです。 そこで、記号か道路標識の目印のような解釈の言葉をつくって、これを関わりの対象としました。 こうすると「行動」だけは成り立ちます。 身体で憶えるという行動の成り立ち方です。
●「狐に憑く」の憑依のしくみを教えます
この行動は、「自分が狐に憑く」という憑依(ひょうい)へと進みます。 この病理症状は、現代人は次のような分裂病の症状をつくり出しています。
◎強迫観念・強迫神経症 「特定の人と話すのが怖い。ドキドキして何も言えない。下を向いて一言もしゃべらない」 「親が死ぬのが怖い。一人ぼっちになると思うと夜も眠れない」 「不潔なものが怖い。手や衣類も何度も洗う」 |
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