[4722-2] 谷川うさ子 2017/03/01(水)14:24 修正時間切れ
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●母親も、父親も困っている
家の中に、「ニート」か「不登校」か「引きこもり」か「ゲーム依存症の人」がひとりいると仮定します。 おもに母親、そして父親が「なんとか家の中にいつづける事態」を解決しようと思わなければ、「社会に出ていかない」「家の中だけでくる日もくる日も過しつづける状態」は変わらないでしょう。 心の中でいくら怒っても、何らかの働きかけをおこなわなければ、自然に事態が好転するわけではないのです。 ポルソナーレは、社会教育の教育法として「一人練習」という考え方を早くからお伝えしています。 「家の中は、社会に出るにあたっての一人練習をおこなう場所である」という考え方です。 学校にしろ、仕事にせよ、社会のどんな場所であるにせよ、その場に参加して適切な価値ある行動をおこなうためには「予習」と「復習」が必要である。これが「一人練習」です。 「予習」「復習」は「一人練習」が行動能力を向上させたり、社会的な自分につくり変えていくのです。 この「一人練習」の効果を認めることができるかどうかが、親の子どもへの責任があるかどうかの基準になります。 「ニート」や「不登校」「引きこもり」を「なんとか改善したい」と考えなければ、「独力で社会の中で行動できない」という負の一人練習が身につくことになります。 この「負の一人練習」は、おもに母親、そして父親が許容して成り立ちます。
●母親も父親も、社会に出て、自立することを願っている
しかし、このようにいっても日本人の母親、父親が初めから積極的に「ニートになれ」「引きこもりになりなさい」「不登校になれ」「ゲーム依存症の日々を、2年でも10年でも、思う存分つづけていいよ」とは考えなかったでしょう。 不本意ながらいつの間にかニート状態になった、不登校になってしまった、気がついたらゲーム依存症を止めない精神疾患をあらわしていたというのが日本人の母親と父親の現実でしょう。 そして、なんとか社会の中でまっとうな仕事に就いて自立してほしい、ちゃんと学校を卒業して自活した生活を営んでほしいと思いつつも、事態がいっこうに好転しないので無気力と無関心の思考で成り行きまかせの毎日がつづき、気がつけば10年、20年が経過していたというのが母親や父親の心象風景でしょう。 この日本の母親、父親のかかえる心の風土もまた、「ニート」「不登校」「引きこもり」「ゲーム依存症」に同調していて、共通するものの考え方(性格)を抱えています。 「なにがなんでも不登校は止めさせなければならない」「どんなことをしても、家だけで過す生活を変えさせなければならない」と断固として考える思考の仕方ではないところが、母親、父親もまた、「ニート」「不登校」「ゲーム依存症」と共通しています。 どこが同じなのか?どこが共通しているのかというと、それは、日本語の動詞文の「動詞」だけをしゃべることです。 このことを誰の目にも分かりやすく説明します。
●日本語は動詞文の「動詞」だけでしゃべり考えさせる
日本語も英語も、同じ人間が用いる「言語」です。 どちらの「言語」も、社会に出て働き、男と女の人間関係をつくります。 こういうことをふまえて「英語の文型」を見てみます。 日本語の「動詞文」と比べるとどうなるでしょうか。
◎英語の文型(5文型) 第1文型:S+V(+M) S…主語 V…動詞 M…副詞 第2文型:S+V+C(+M) C…名詞、形容詞 第3文型:S+V+O(+M) O…名詞 第4文型: S+V+O+O O…名詞 第5文型:S+V+O+C O…名詞 C…名詞、形容詞 |
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