[4787-2] 谷川うさ子 2017/07/12(水)09:25 修正時間切れ
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日本人の毎日使う日本語は「動詞文」です。「動詞」の言葉しか無い、ということです。名詞や形容詞もあるじゃないかと言う人がいるかもしれません。 国語学者の大野晋は、『日本語の文法を考える』(岩波新書)で、「品詞の転成」という方法で、動詞の言葉を名詞にしたり、形容詞にも、アメ細工か、紙細工のように作為的に作り変えていると説明しているので、「日本語には動詞の言葉しかない」というのが真実です。 多くの日本人は、この真実に全く気づかないか、正しく理解する能力が根本的に欠如しているかの、いずれかの理由で、事例の女性のように、結婚して子どもが生まれると身体に疾患か、精神に病気をつくって、病気の人生を歩む、ということをおこなっています。
●日本の女性がいつも病気を倍増させるシンプルな動詞の2つの法則
国語学者・大野晋の説明にもとづくと、日本語の「動詞」は「自然成立」か「作為性」かの二つの思考の仕方をつくります。
《例》 隠ル・隠ス 流ル・流ス 起キル・起コス
「ル・ラル」と「ス・サス」の二つが思考の二分法です。 「ル・ラル」は自然成立で価値がある、「ス・サス」は作為性で価値が無い、という思考の仕方をします。 「ル・ラル」は「外扱い」で近づかない、尊敬を意味する、「ス・サス」は「内扱い」で、近づけばバカにして壊す、という思考の仕方をつくります。
相談の事例の女性も、この日本語の「動詞」のつくる思考の仕方のとおりに自分の結婚や生活、子どもとの関わり方、夫との関わり方をおこなっています。それが相談の内容の主旨です。 「結婚前に交際していた男性があらわれるのではないか?」という言葉は、「ス・サス」の動詞の作為性の思考がつくり出した嘘の言葉です。 「人の目が気になる」といった強迫の嘘の言葉は、自分の目の前とか、目に入ってくる人間についての作為による嘘の言葉です。 これは、「ル・ラル」の動詞の言葉の「自然成立」が「目の前に人間はいない、いても近づかない、それなのになぜ、人が目に入ってくるのか?なんとしても『人はいない』というように破壊できないものか?」と「ス・サス」の作為による内扱いで破壊しようとしているが、家族や恋人や親しい知り合いではないので破壊できなくて困っているというのが悩みの内容になります。 |
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