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吉本隆明の『母型論』 (贈与論・思潮社)を テクストにして「座間市 事件」を見ると、 「スマホ」(パソコン)の 画面をしょっちゅう 見つづけるとどうなるのか? の脳の働き方の しくみが浮上してくる。 「スマホ」(パソコン)は マトリックス(時間的な 距離を縮めること)は、 「情報通信」だけでは なく、人間の思考の 能力(秩序をつくる 理性)と、人間の身体の 生命の寿命も 大きく短縮し、生きられる年数を一気に縮める ということだ。
●日本人が痴呆になるのは簡単!デタラメをひとり言のようにしゃべればよい!
ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは吉本隆明の『母型論』(贈与論)をテクストにしています。日本人が使っている日本語の動詞文の起源を証拠にする、日本人の脳の働き方の異常を明らかにすることが目的です。 『母型論』による日本人の脳の働き方の異常とは、それは「母系制」ということです。 「母系制」とは何か?というと「英文型」でいうと「S+V+O+C」の「O」と「C」が無い話し方、行動の仕方のことです。
「S+V+O+C」の「O」とは概念としての名詞、抽象名詞のことです。「C」とは概念としての形容詞のことです。 多くの日本人は、国語学者も含めて、例えば「花が咲く」「花は咲く」の「花」は「O」に当る名詞であると考えています。国語学者でも、大野晋だけは、この「花」は「品詞の転成」によって、動詞を名詞につくり変えたものであると証拠をあげて説明しています。 このことは『古典文法質問箱』(角川ソフィア文庫)にくわしく説明されています。
この大野晋の説明は「なぜ、正しいといえるのか?」を保証するのが吉本隆明の「個体・家族・共同性としての人間」(『情況への発言』徳間書店所収)です。山下秀雄が『日本のことばとこころ』(講談社)で、日本語とは「已然、未然の動詞文である」と説明していることを、吉本隆明の「個体・家族・共同性としての人間」に重ねてみると、「日本語は時間性の言葉である」ことが明らかになります。 「時間性」とは、「主観」のことです。げんみつにいうと「この現実の中に滞在する時間が短いこと」です。 |