[4838-2] 谷川うさ子 2017/12/19(火)15:05 修正時間切れ
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スマホの「画面」を見るとは、一見すると「目だけの働き」しかないように思っている。 これは、グーグルでもアマゾンのテクノロジー技術者も同じだ。 「感覚の知覚」は「視覚」、「知覚の認知」は「聴覚」という働き方をする。 目で見て「分かる」というときに「視覚優位」が「聴覚優位」に変わるのだ。だから、目で見たものの(あるいは自分が見たいもの)を「聴覚」に変換して「言葉の原型のイメージ」として「右脳・虚像」(ブローカー言語野)に表象する。
三、遠くにあるもの(遠くに見るもの)とは、ゲシュタルト形態のことだ。「感覚の知覚」の「見る」である(類似性の法則など。「S+V+O+C」の「O」「C」に当る)。 これを見る主体は「知覚の認知」で「見る」。この「知覚の認知」は「聴覚」(言葉の意味を表象する)の働きのことだ。 だから、人は、スマホの画面を見るといっても、二つめの「見る」で「聞く」ことと同じ脳の働き方に変える(「S+V+O+C」の「S」「V」に当る)。
四、このような視覚、聴覚の脳の働き方の基本構造を異常に、病気の表象として変えるのが、欧米人にとっても日本人にとっても、「スマホ」の「画面を見る」(見つづける)である。
すると、「マトリックス」の時間の短縮は、社会秩序の破綻はもちろんのこととして、「人間の生きられる生命の時間」も大きく短縮しているのである。
●「寝たきり」「痴呆症の徘徊」になりたいと思う人だけが手離さない「スマホ」と「パソコン」の法則
このように人間の身体の生存の危機を招くことを明らかにしたのはポルソナーレのカウンセリング・ゼミだけである。 このことを理解しない人は「貧困の格差」など可愛いもので、身体の生命の能力の格差の中に流されて、漂流していることにも気づくことはない。 今回の『谷川うさ子王国物語』パート・Ⅵ(シックス)第10ヵ月めのテキストの学習は、こういうことをわかりやすく教える。 |
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