[4840-2] 谷川うさ子 2017/12/28(木)17:10 修正時間切れ
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小型コンピュータというふれこみの「スマホ」だが、経済社会とか情報を伝えたり、受け取ったりする「情報通信」の場面では「コスト削減」という経済価値のメリットが強調されている。 しかし、「スマホ」の「画面」を見つづける消費者(享受者)の側の弊害については、誰も何も言わない。 驚くほど、誰も一言も発言しない。 「ゲーム依存症も、スマホ見ながら歩きも、自己責任だろう」という暗黙の黙契と禁制が、日本はもちろん、世界の通念になっている。
●哀れすぎる!日本人の心身の病気の歴史と健康の終焉
ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、日本人の認知症(痴呆症)の原因と対策は、日本人の使う日本語(動詞文)を、英文の文型の「S+V+O+C」のとおりに、「O」「C」を正しく言い表すことだと説明している。 ふつうに考えても、「O」「C」の無い日本語の「動詞文」は、強迫観念や強迫神経症をつくり出すのである。吉本隆明の『共同幻想論』(角川ソフィア文庫)に説明している「狐憑き」(精神分裂病)が日本人の脳の働き方がつくり出す異常の説明になる。この明治の以前は、「行動の止まり」をつくっていたので、早くから死んでいた。 明治以前の日本人がちょっとしたことで行動が止まり、すぐに死んでいたのは、「品詞の転成」や「訓読み」「日本式の漢語(紅葉・もみじ・こうようが例)」という偽(ぎ)の「O」「C」(名詞、形容詞、抽象名詞)が無かったからである。 日本人は、「偽(ぎ)の名詞、抽象名詞、形容詞」(偽(ぎ)の「O」「C」)の副作用として強迫観念、強迫神経症をつくり、現実と葛藤しながら、正しい「O」「C」(概念としての名詞、抽象名詞)を獲得した人もいた。 吉本隆明は、その第一人者である。
●ついに解明!脳の中の視覚と聴覚の相互関係と「スマホの画面は聴覚が見る」メカニズム
テクノロジー時代が始まり、「パソコン」から「スマホ」にテクノロジー技術が進み、日本人が日本語の「動詞文」でつくる強迫観念と強迫神経症は現実の場面から、姿を消した。 治ったとか解消したというのではない。 「スマホ」(パソコン)の「画面」を見るという「視覚」と「聴覚」に吸収されて「バーチャル強迫観念とバーチャル強迫神経症」に結晶したのである。
これは、日本人の「生きる人生の生命の長さ」も短縮していることを意味する。
ポルソナーレは、脳の中の「視覚」と「聴覚」のしくみを説明する。 そして、「スマホゾンビ」をはじめ、「富岡八幡宮殺傷事件」は、母系制の異常を抱えた「3番目の妻」に事件の発生の機序があることを説明する。 このいくつかの事例のケーススタディの教訓を不明とする者は、「古代の日本人」よりももっと自分の人生の生命時間を短縮していく可能性がある。引き返せる人は、今のうちである。 |
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