[4848-2] 谷川うさ子 2018/02/02(金)14:58 修正時間切れ
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●人間がものを見るのは、聴覚が見たものを「見た」と了解するのである
このときの「聴覚のイメージ」は、『右脳・虚像』に思い浮ぶ。表象するというのである。 『右脳・虚像』は「聴覚」がつくるイメージを思い浮べる。
『右脳・虚像』は、「聴覚」がつくる像(イメージ)を思い浮べる。 聴覚はゲシュタルト形態の内容の像を思い浮べる。『左脳』の「言葉」「言語」とつなげれば「言葉。言語の意味」になる。「意味」とは国語辞典に書かれている「意味」と同じことである。「言葉の意味」のことだ。 だから、「目で見る」ことの脳の部位の「右脳・実像」の「視覚の感覚の知覚」の「見ること」にも影響と作用を及ぼす。 こういう不思議なしくみは自律神経の働きによるのだ。 「見る」(視覚)は交感神経(散瞳)、「見た」(聴覚)は副交感神経(縮瞳)というものだ。視覚と聴覚は相互関係をもっている。「共時性」という。
●あなたは、この脳の中の「聴覚」の働き方と、そのしくみを理解できるか?
人間の脳は、「イメージ」をつくることを特質にしている。 かくべつ「視覚」だけが「イメージ」をつくり出すのではない。 視覚は視覚のイメージ(像)をつくる。聴覚は、視覚にくっつくときは「像」(イメージ)をつくり、「聴覚」だけが単独で働くときは「形象・記号、文字、数字」のイメージをつくるのである。
●スマホ、パソコンの画面は、あなたを廃棄物に変え、やがて廃人にする。そのメカニズムを説明する
さて、「スマホ」「パソコン」の「画面を見る」についてだ。 何ごとも、理論と知識が無ければ、事態は悪くなる一方だ。それが人間社会を生きる法則である。 「スマホ」「パソコン」の画面は、一見すると目の視覚(感覚の知覚)だけが「見る」をおこなっていると思われている。 しかし、それは、「高所恐怖症」「閉所恐怖症」を見ても分かるとおり、「高い所から下を見る」「狭い部屋から部屋の外を想像する」ことの恐怖の内容の「現実」にたいしての「視覚の知覚」の働き方のことだ。「高所恐怖症」の「地上を見る」ことが遮断されれば「高所」も快楽の場に変わる。 それが「スマホ見ながら歩き」だ。 会話のときも「スマホ画面を見る」ことだ。家の中でパソコンを立ち上げて一日中、トイレ、食事、入浴以外、は快楽園に変わった「画面」を「見ること」だ。 これは、「視覚」の機能(媒体という)を借りて、「聴覚」が「右脳・虚像」に表象させた像(イメージ)のとおりの内容を「画面」に見ている。 「画面」は「聴覚」がつくった像(形象)のイメージに見合うものを供給元から「情報通信」のサーヴィス綱を通して届けさせているのだ。 「視覚」(ゲシュタルト形態)が働いていないので、極楽に変わった「高所」(屋上)の中で快楽のドーパミンで『右脳・虚像』をバラ色の光景に変える。
●ここでレクチュアしていることが、理解できるかどうかが、「ゴミ人間」「廃人」の分岐点
サラリーマン(働いている人)は、「スマホ」「パソコン」を「見ながら生活」を行う。「バーチャル高所恐怖」は「バーチャル高所快楽所」に一変する。「バーチャル精神病棟」と同義だ。 やがてニート状態(休職とか)に陥る。すると「右脳・虚像」は「バーチャル閉所恐怖症」(バーチャル強制快楽園収容所)に変わり、これを「スマホ」「パソコン」の画面に見るのである。「自分」を「廃棄物」から「廃人」に変えるのである。 |
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