[5004-2] 谷川うさ子 2018/08/05(日)13:28 修正時間切れ
|
今、わたしが困っていることは、人が自分のことを変な人だと思っていると考えて、どんどん悪い方へ、悪い方へと考えてしまうことです。 人とすれ違って歩いているときも、変な顔をしていると思ったにちがいないと、そのことばかりをいつまでも考えつづけます。
わたしは、人の目を見て話せません。人と話すときは、相手の人とは全く別の方向を見て、別の方向をじっと見ながらしゃべります。たまに相手の顔を見るとニラミつけるように見るので、相手の人はすぐにどこかへ行ってしまいます。 友だちはわたしと話さなくて、ほかの人と楽しそうにしゃべります。このときわたしはすごく腹が立ちます。腹が立ってくるので、怒ってムカムカした態度や不機嫌なものの言い方、表情に変わります。
●動詞文とは、「丸暗記」(手足、目、口の動き方)だけが唯一の使い方のこと
■なぜ、15歳の中学生の女子の相談の事例を紹介しているのか?というと、これが、日本人の使う日本語(動詞文)による脳の働き方の異常であるからです。 中学生といえば、性的な機能が完成に近づく年齢です。 日本語(動詞文)を使って、性の能力のとおりに行動すると、事例のような病気にはなりません。 日本人の女性は、「母系制」のもとで動詞文の言葉を右脳系の海馬に記憶して、これを社会の中で、行動できるように言いあらわします。 「母系制」とは、母親が娘に動詞文の言葉をしゃべることです。このしゃべりを学校とか仕事の中に参加するための行動にあらわします。 「母系制」とは、「対幻想(吉本隆明)のための言葉は無い」、ただ「食の欲」(外側核)の交感神経によって自分の身体の動き方という「行動」だけを現わすという脳の働かせ方のことです。
●日本人は、「愛着」の中の「同調」と「同期」の仕方が視覚の能力にダメージを与える
事例の女子中学生は、母親との愛着の関係の中で、「母親は一方的にしゃべる」「母親のしゃべりはグチとか人の悪口のことが多い」という「同調」であったので、娘は、動詞文のしゃべり方は記憶しても、自分の行動を現わすための動詞の言葉ではなかったのです。 「同期」という行動のあらわし方は、憶えても、それは、中学生の女子にとって、自分の行動を社会の中で、現実にたいして「同期」する行動ではなかったのです。 動詞文の動詞の言葉は行動につながるものではなく、自分の行動(自分の身体のこと)を悪く解釈する否定的な言葉しか生成されないという脳の働き方がつくられています。
●パソコン、スマホ、デバイス端末は日本人の脳に、精神分裂病をつくることを本質とする |
|