[5006-2] 谷川うさ子 2018/08/06(月)16:53 修正時間切れ
|
●日本語(動詞文)は、男性にとって行動だけを可能にさせる
■日本人の男性は、性の欲にもとづく行動(話すことも)は、欲の脳の視床下部の「背内側核」から出発します。 だから、日本の男性は社会の中で「行動すること」は可能です。ごく普通に社会の中で行動します。 この点が女性とは違うところです。 日本の女性は、日本語(動詞文)の特性にしたがって、「外側核」(食の欲、視床下部)で社会の中での行動を可能にします。 ●日本の女性が社会の中で行動が行き詰まる理由
日本の女性は、母系制のしくみによって、「自分の行動についてのことはしゃべる」しかし、「自分の行動の目的=対象については、しゃべることができない」という脳の働き方が一般的です。 だから、「母系制=母親のしゃべり方とこれの聞き方」によっては、当の娘である日本の女性は、自分の行動のことを「全くしゃべれない」「しゃべっても分裂病の作話症のしゃべり方になる」……のいずれかになって、ここから「痴呆症になる」「自己免疫疾患になる」「がんになる」のどれかの人生の日々になるのです。 ●日本の男性は、母系制によってしゃべる言葉が分裂病になる
事例の男性は、日本の男性の社会の中での「行動」と「言葉の能力」を説明しています。 日本の男性は、原則として社会の中での行動は可能です。しかし、問題は「行動を言い表す言葉の能力」は母親と仲が良くても、悪くても、母親の言葉を聞いて憶えた男性は、「母系制の母親」と同じように、「自分のことしかしゃべらない」のです。あんまり母親としゃべりすぎた男性は、母親の言う「自分の不安とか、人の悪口のグチ」を自分の行動についてのしゃべり方とするので、仕事に行くことも、恋愛することもできません。 テクノロジー時代の「パソコン、スマホ、デバイス端末のワープロソフトを使って文字、言葉を表す」ことにかかわった男性は、母親のしゃべった他者への不安、不満、不平の言葉のとおりに「右脳系・海馬にエピソード記憶している……これをしゃべりの言葉で言い表す」ので、一日中、自分の分裂病をネットに書き込むとか、現実についての自分の不満を解釈(分裂病)の文、言葉として表示しつづけるのです。 日本人の男性は、性の行動はあっても、関係づけの言葉は無いというのが本当のところの実体です。 |
|