[5025-2] 谷川うさ子 2018/09/02(日)14:03 修正時間切れ
|
●日本人にとって病気は、「明日、病に倒れる」というものでないかぎり、許容の範囲にある
問題は、日本人にとって黙契と禁制というデタラメの解釈の言葉が人生、あるいは個人の日々の生き方になっていて、これ以外の日々の生き方は何も無いという脳の働き方の恒常性(ホメオスタシス)が固定化していることです。 ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、社会教育の観点から、名詞の言葉を概念として学習しましょうなどと、レクチュアしてきました。 しかし、日本人の脳の働き方の動詞の言葉しか受け付けないというしくみは、人の顔を見ない、人の説明を、相手の顔を見ながら聞くことは決しておこなわないことに例を見るように、「見ない」は「存在しない」「自分の頭に思い浮ぶ禁制の言葉しか見えない、だから対象は存在しない」という脳の働き方を協力に保存しています。 ここからは、自分がいろんな病気になることも必然であるし、仕事でも、社会でも、人間関係でも、「そういうものは存在しない」という関わり方をごくごく普通にしているので、たとえば推移律にしろ、帰納にせよ、まして演繹など「伝わりようがない」、そもそも説明の記憶が成立しないことが分かります。こういうことが解明されます。 日本人には、がん、心臓病、脳梗塞をはじめ、痴呆症(認知症)などの心身の病気がいっこうに減ることなく増えつづけています。これは、病気をつくることを当り前とする脳の働き方の必然というものです。
●日本人の病気とは「目が見えないこと」である
ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、病気だから治りたいのだから、辛い症状だから苦痛から解放されたいのだろうと理解してきました。 しかし、「動詞文」だから交感神経の働きの「視覚」の「感覚の知覚」(ゲシュタルト形態)は目に入ってきてもすぐに「見えなくなる」のは当り前で、「見えない」のだから「右脳・虚像」(X経路のゾーン)に解釈というよりも分裂病としてつくり出す妄想に等しいイメージを聴覚の「知覚の認知」が「見る」のは、日本人にとっては「これ以外の見ることはありえない」という脳の働き方になっているので、精神分裂病も痴呆症(認知症)も変えようがないのです。 ここから女性は自己免疫疾患をつくるし、何をどうやっても血流障害から免れようがなく、身体が崩壊する日が60歳、70歳とすると、その日まで病気と同伴しながら生きていくということをおこなっています。 このしくみは、母親から禁制の言葉を聞いてこれを黙契としてきた男性にとっても全く同じで、変わるところはありません。 禁制をしゃべる母親としゃべった男性は、黙契は可能でも、やっぱり自分も禁制をしゃべるので、「社会など存在しない」「現実など存在しない」という脳の働き方を反復させています。 このような日本人の「動詞文」の動詞しか話さない「禁制」(つまり擬似共同性の世界ということです)は、テクノロジー(ワープロソフト)によって不可逆的に固定化されています。 このことが明らかになって、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、最終コースに到達したと考えています。
●テクノロジーによって日本人の禁制のバラ色の人生は消えた
はっきりしているのは、多くの日本人にとって、「禁制」のもたらすバラ色の人生のイメージは消えて、今、400万人とも600万人ともいわれる認知症(痴呆症)だけが人生の共通方向になっているということです。このことをご理解の上、名詞文、抽象名詞文の習得におとりくみつづけてください。、 |
|