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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター
ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします!
───────────────────────────────── 谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!! 発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子 (第1期・103号) (令和元年5月14日) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
◎5月11日(土曜日)の自己カウンセリング研究会の「研究会」の総括の続きです。
◎「Ⅰ・主題」に「視線恐怖」をご提示していただきました。
◎この「視線恐怖」の名詞を「実在性」の名詞であることを説明する、といのが、「自己カウンセリング」の実践の始めです。
この「実在性」ということを理解するのがきついという印象をうけます。
●それも無理もないところです。
もともと日本人の脳の働き方は、脳の言語野でも、時間性の言葉の領域で、動詞の言葉しか使わないという病理を土台にしてきています。
●だから、仕事とか学校の教科書の言葉を目の前にある対象にして「読む」「書く」「話す」「聞く」ということを行う場合、動詞文はそのままにして変えないのです。
●ここから、「視線恐怖」という言葉を読む、話す、あるいは「自分の経験の視線恐怖」を語る、というときは、「人の視線が気になります」とか「どこかで自分を見ている人がいる、見られているという視線が気になります」「人と話していると、別の誰かが視野に入ってその視線が気になり、目の前の人の顔、目を見ることができません」「話している相手のどこを見ればいいのかわかりません」などという作り話をします。
これは「視線恐怖」の「恐怖」という名詞の言葉を動詞文で読み、動詞の言葉に変えるという結果の意味づけです。
「こわい」とか「気になる」というのが動詞文の表現です。この表現が作り話しであるのです。
その証拠に、「こわい」と言いながら、なにも困ってはいません。作り話はどんどん広げられます。「気になる」という現実の相手なり、想像の上の相手なりについての物語(妄想という想像のドラマ)をリアルにしゃべりつづけます。
カウンセラー(精神科の医師も)は、日本人のだれもが一様なパターンの妄想を語るから・・・「気になる」の白日夢のストーリーを聞かされるのです。そして、結果、日本の精神医学は長いあいだ騙されてきたのです。
騙し、騙されるという「動詞文」がつくる日本人の共同性の世界は、「他界の世界」(死んだ人間の世界)ともうひとつ「逆立ちした擬似の共同性の世界」(ちょっとしたことですぐに死ぬ世界)のふたつをつくり、自分の生きている世界を二重化して、現実を逆さまに見ながら「なんとか自分だけの食欲」を満たすということを可能にしてきました。それが「訓読みをつくる丸暗記による現実との適合の仕方」です。
こういう丸暗記の行動の仕方は、定年まではなんとか生きられるというようにおもわれましたが、残念ながら「パソコン」「スマホ」などの台頭で、今の日本人には「他界の世界」と「逆立ちした擬似共同性の世界」だけしか与えられていません。
こういうことを「吉本隆明」の「共同幻想論」や「母型論」は説明しています。ポルソナーレは、吉本隆明のこれらの本を読んで、ようやく今までのカウンセリングによる日本人の病理の理解は間違っていたことに気がついたのです。
ポルソナーレのカウンセリング・ゼミは、「視線恐怖」とは、かならずしも「こわい」「こわくて見ることができない」という意味のことではないのである、という真実とその定義を理解することができたのです。
◎「視線恐怖」という名詞の意味を、こういう動詞の言葉に変えた作話症の妄想のドラマのとおりであると疑わずに対象にすれば、「同一性」とは「人の目がこわい」「コワイと感じる目、視線」「他者の自分を見る目を不快に思う」・・・などのことだ、とデタラメを本質にすることになるでしょう。
◎この「フォーム」の完成をコーチングする説明は、あとすこし続けます。 |