[5173-2] 谷川うさ子 2019/05/15(水)20:14 修正時間切れ
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こういう心配をする人に、「ガスの元栓」から離れると心配になるので、いつまでも、「ガスの元栓」を目で見続けてその場から離れられない、ということをおこなう人もいます。
●この事例を見ても分かるように、目の感覚の知覚は見ている、しかし目の感覚の認知の機能は見ていない、という脳の働き方が起きていることがわかります。
目は、生理的に見る、心的に見る、のふたつで二重の働きで成立しています。
●生理的に見る、は、犬でも猫でも、魚でも、動物なら どんな生き物でも行う身体の視覚の感覚の機能のことです。
●「心的に見る」は、「漢字・漢語の音読み」のレベルの「名詞」「抽象名詞」の言葉と、その意味の像(イメージ)のことです。
◎日本人だけが行う「心的に見る」とは、こうです。
「漢字・漢語」の名詞、抽象名詞の言葉を、「訓読み」で憶える、意味は「記号」にして憶える・・・すなわち、「クローズアップ」のイメージになるまで「勉強」と称して丸暗記する、憶えた、忘れていないようだ、その記号の対象に向き合い、関わりつづけることができる、これで仕事をしていることになる、収入にもなっているし・・・これ以外には憶えようがない。
◎「視線恐怖」とは、この丸暗記もできないという場合の「見る」のことです。
「丸暗記」は、声を出す、手で何度も書くなどの繰り返しの反復でクローズアップのイメージをつくります。対象と関わるために、自分の身体の知覚と触覚の触知の感覚にむすびつけるのが「丸暗記」です。
●これを可能にする人は、対象にたいして親和(メランコリー)をもっている人です。
●「メランコリー」とは・・・対象にたいして「好きならば暗記できる」「嫌いならば関わりを拒否する」という憶え方をしている人です。「好きでも嫌いでもない」というニュートラルな対象には丸暗記などできるはずもない、しかし拒否する理由もない、と困惑している人が「メランコリー」の人です。この人が、わたし「視線恐怖」です、と言うのです。
●「好きである」というのは、食べ物の摂取とおなじです。娯楽も、食べものと同じように自分の身体にドーパミンの脳内の麻薬で快楽に痺れるもの、です。快楽をともなって自分と同化できるもの、これは自分の快感のことだと思えるもの、が好きである、を構成します。
●このような快感ホルモンのドーパミンを消して、ドーパミンをノルアドレナリンの猛毒のホルモンに変化させるものは、嫌いである、そういうものは拒否する、というのが「嫌いなもの」です。
そういうものは心拍を低下させるのだ。心臓に心室細動をおこすだろう。とりわけ、大声で怒鳴って自分の思考を壊す人は、呼吸が止まりそうになるから自分の身体を震えさせる。
●「視線恐怖」とは、「嫌いではないが、好きでもないから、とうてい自分からは近づくということはしたくない、しかし、必要とか現実には価値があるのは実感できるから、向こうから歩み寄ってくる場合にかぎり、なんとか丸暗記はできないかと思う」・・・これが「視線恐怖」の実体です。
◎「同一性」とは、「視線恐怖」をモデルにした場合、こういうふうにとらえる、と理解しましょう。 |
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