[5175-2] 谷川うさ子 2019/05/17(金)20:28 修正時間切れ
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永続性がある、耐久性がある、のが空間性の言葉(名詞の言葉)の本質です。だから食べ物、娯楽、遊び事のように、摂取などはできない、だから丸暗記はできないのです。
それでも、仕事の言葉はおぼえなければならないとすれば、好きになるのと同じように、繰り返し、反復してクローズアップのイメージをつくるしかない。ごくごく一部の仕事の言葉にたいしてだけは、記号としての丸暗記が可能になる、という場合もあります。
●丸暗記はできない、だからといって傍観者のように関わるだけの行動しか行わないということはできない、これが「視線恐怖」の「恐怖」の定義です。そこで、ごく表面だけを撫で回すように関わる、というのが、「恐怖」の意味です。おそらく解釈とか作話症の言葉だけで関わるということをおこなっているでしょう。
間違いなく、ここでは幻聴とか幻覚のイメージが思いうかべられているでしょう。
●これは時間性の本質にしたがって、自分をこの世から消滅させる、という道のりをたどっているのが「恐怖」の意味であるということです。だからといって、それが「こわい」というのではありません。当の本人は、「時間性」の本質にしたがって「消滅すること」を大いに喜んでいます。
「時間性」の本質とはなんであったでしょうか。それは「摂取」を行動のしかたとするので、自然性に呑み込まれて跡形もなくなるということです。娯楽に浸るように、自分が跡形もなくなることは快感をともなうドーパミン分泌のプールに溺れて耽溺することであるので、「嬉しい」と密かに思っています。
●だから「丸暗記は、いずれ、がんにでも、脳梗塞にでも、あるいは、心臓が止まる不整脈をつくりますよ」と脅かしても、これを脅しとは理解できないのが「視線恐怖」の「同一性」の定義です。 |
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