[5180-2] 谷川うさ子 2019/05/22(水)16:28 修正時間切れ
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○「仕事などでは、仕事の目的、手段などの計画がたてられないし、会議などで発表する説明ができない」・・・ネットなどのデータを組み立てて説明はなんとか出来ても、ニーズ(需要の必要性)を創り出すことはできない。
○「介護、病理の回復とか予防などのために相手と話ができない」(ゲーム依存、ネット依存、引きこもり、不登校、高齢者の痴呆症などを放置する)
◎このような「できない」中で、なおも関わりを持ち続ける時に、関わる対象を壊し始めます。あるいは関わりという行動が止まります。
バッドイメージという壊しのイメージが喚起します。このバッドイメージはドーパミンの分子構造がノルアドレナリンに変化しての快感状態のことであると説明してきています。
なぜこういう脳内の変化が起こるのかというと、目の「視覚」が止まるという「自律神経の交感神経」の止まりが起きるからです。
「副交感神経」だけしか働かなくなると「血管を流れる血液のなかの生化学物質のアセチルコリンとかセロトニン、などが痛みを発生させる」・・・すると、身体と脳の生体防御システム(セントラルドグマ)が働いて苦痛を快感に変えるからです。その快感のホルモンがベータ・エンドルフィンです。別名、「安産ホルモン」ともいいます。あるいは、人間が死ぬ間際にはこのベータ・エンドルフィンが分泌して、苦しまずに死に至る、という効果でよく知られています。
「副交感神経」だけが働くということは、免疫システムが働いて「自己免疫疾患」を作り出すということです。
血管が副交感神経支配の女性は、この自己免疫疾患がつくられやすく、リュウマチとか「がん」、膠原病などを生み出します。
◎こういう疾患の状態にある人は、脳の言語野の日本語の時間性の本質にしたがい、自分の病気の現実を受け入れて、治そうとはせず、あるいは身近な人の心身の破綻も喜びます。
「治しましょう」とカウンセリングを申し出ても、鬼の形相で「せっかくトカゲの脳の快感に浸っているのに、この喜びをとりあげるのか」と敵意をむきだしにします。
もともと「治そう」という思考(名詞や抽象名詞による論理の思考)が全く無いからです。
無いだけではなく、「時間性」(動詞文の言語領域のことです)の本質の「すぐに形が消えてなくなる」「存在そのものが消滅する」のとおりに、自分が死のうが、子供が死のうがいっこうにかまわない・・・という脳の働き方を言い現すのが「恐怖」です。
◎「視線恐怖」の「視線恐怖というもの」の「もの」の実在性とは、まず「恐怖」に適用すると「仕事、学的な知性の言葉を、憶えることの放棄、さしあたり今すぐには死にたいとは思わなくても、自分の人生はこれで終わりにしてもよいと投げ出している現実との関わり方」ということになるのです。
◎つぎに「視線恐怖」の「視線」の「もの」の「実在性とはどういうことをいうのか」を明確にすると、吉本隆明の説明に依拠すると、「目」には「感覚の知覚」と「知覚の認知」のふたつがある、このうちの「感覚の知覚」(生理的身体の機能)の目は見えてはいても、しかし、「知覚の認知」の目は見えていない、・・・が「同一性」を定義します。
多くの日本人は「人の顔を見ないで話す」「人の説明を聞き書きしながら聞く」(ノートとかメモ用紙しか見ていない)「スマホとかパソコンの画面は見ても、相手の顔とか目は見ない」という関わり方を普通にしているという、「視覚の知覚の認知は無い」という盲目状態が「視線恐怖」の「視線」です。
●パソコン、スマホの画面を見る、というのは、生理としての身体の目の視覚の交感神経はまったくはたらいてはいない、副交感神経の視覚の働きだけしかはたらいていない・・・目で見る機能の「視覚」は無い、聴覚の記号性が脳内に時間性のイメージをつくる脳の働き方しか無い、・・・日本語の動詞文の時間性よりももっと悲惨な盲目状態をつくる、というのがスマホ、パソコンを見る人間の「視線恐怖」であるのです。
●ハンナ・アーレントの「人間の条件」(ちくま学芸文庫)によれば、「視覚」の脳内の働きの「視覚の知覚の認知」は、モラル(身体の行動がつくる倫理・・・行動秩序)を発生させて行動のうえの「共同体」や「性の関係を媒介にした対幻想の共生関係」を創り出すといいます。
●スマホ、パソコンの画面を、仕事であろうと、遊びであろうともしょっちゅう見る人は、モラルが崩壊しているから、人も自分も騙す、家族を虐待する、人との信頼関係をぶち壊す、目の前で人間が痛みや苦しみで泣いていてもいっこうに気にならず、むしろ、バッドイメージのトカゲの脳のつくりだすA9神経のドーパミンの快感に痺れ、あまりの快美感に全身をふるわせて、依存症の日々を夢心地ですごしているのです。 |
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