[5183-2] 谷川うさ子 2019/05/25(土)14:23 修正時間切れ
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●「視覚の認知」とは、脳のなかに表象するイメージ(像、ないしは形象像)のことです。
「イメージ」は、右脳の言語野に表象します。いずれも「交感神経」の空間性の知覚が記憶しています。
これがゲシュタルト形態原理による空間性の記憶の表象です。
「形象像」とはなにかといえば、左脳の言語野の名詞、抽象の名詞のことです。聴覚によって記号化した形象、すなわち「言語」「話し言葉」のことです。
このいずれも、「交感神経」の働きで成り立ちます。
◎「視覚の知覚」は生理的身体の目、視覚のことです。日本人が動詞文の言葉しかしゃべらないといっても、この「視覚の知覚」の交感神経は機能しているので、この「視覚の知覚」について、動詞文のコトバが「丸暗記」を行うのです。
●しかし、「視覚の認知」の交感神経は初めからはたらいてはいないので、生理的には見えてはいても、視覚の認知の交感神経ははたらいてはいないので、規範やルールが見えない、仕組みも見えない、つまり内容はまるで見えない、・・・ここで勝手に思いつきで解釈したに意味づけをおこなう、・・・「自分はこう思う」の「思う」が幻聴です。
●生育歴のなかの母親との関係で、「行動」のための言葉を学べなかった人は、丸暗記をしないかぎり、行動はできない、丸暗記をはやくから諦めたひとは、「視覚の知覚」に見えた現実なり言語、言葉を、自分の行動のために私的に(自分の気持ちはこうだとか、自分の思いをしゃべるぞ、など)引き寄せて幻覚のイメージをつくりだします。
この「幻覚」まじりの行動が現実のなかで破綻すると、幻覚を優勢とした自分の思いのイメージ(つまりこれも幻覚)のとおりに「幻聴」を喋り始めるのです。
●こういう構造を理解して、事実と事実関係から説明して「フォーム」の完成を目指していただきたいと思っています。
●よくおわかりのとおり、「フォーム」の完成とは、すなわち、名詞の言葉をただしく言えること、それが痴呆症から免れるゆいいつの方法であるとことは、すでによくおわかりのとおりです。 |
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