[5185-2] 谷川うさ子 2019/05/27(月)20:12 修正時間切れ
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●そして、これが、ポルソナーレの「自己カウンセリング研究会」の現在の「研究会」が課題にしているところです。
◎「事実」とはなにか、「事実関係」とはなんのことなのか、といえば、それは名詞、および抽象名詞、で言い表せる「もの」「こと」を指します。
●この「事実」、「事実関係」には、「ジョン・ロック」の定義する「第一の性質」と「第二の性質」のふたつがあるとは、これも、ポルソナーレのカウンセリング・ゼミでなんどとなくレクチュアーしてきています。
●日本人も、および世界の人間も、今のようにスマホ、パソコンなどのワープロソフト、「AI」などのテクノロジーがこれほどに一般化するとは誰もが想像すらもしていなかったでしょうが、しかしポルソナーレは、日本語の動詞文の思考の歪みは、弥生時代から奈良時代を経て、現在に至ることを突き止めていました。
●その文献は、大野晋、山下秀雄などの日本語の考察、文法学の説明をあげて紹介してきています。
●この日本語の動詞文のもつ異常さは、誰がどう理解できないとにもかかわらず、カウンセリング・ゼミはビデオ撮影を行って解説し、ポルソナーレ・ニューズレターを発行して文章で説明してポルソナーレの時代の「時代と社会の証拠」として保存してきています。
●「事実」および「事実の関係」とは、すなわち名詞、抽象名詞を自分の対象にすることである、ということをあらためて説明しています。
これは大野晋も指摘していることですが、日本人は、動詞で思考するために、「ある」「なる」などの自然成立を気づきの感覚で、現実の事実、事実関係を捉えます。
「見えてきた」「見える」などがその気づきの文例です。山下秀雄は、これを「未然」「巳然」と説明していることはご記憶のことでしょう。
●日本語(ヤマトコトバ)は「時制がない」という思考の仕方の問題を誰もが抱えているということを思い出しましょう。
時制とは「過去」「現在」「未来」という時間の経過を「空間性の言葉」でいいあらわす仕方のことです。
このことは、「5W1H」を、「5W1H」とは言えても、では、「5W1Hとはどういうことですか」と問うと、「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「なぜ」「どのように」とは言えるかもしれない、しかし、「いつとはなんのことですか」とひとつひとつの説明を求めると、ここからが答えが怪しくなってきます。
これは、日本語が動詞文であるために、名詞とか抽象名詞の言葉がたちまち、脳の言語野から消えてしまい、消滅していくという脳の働き方の特性によるものです。多くの日本人は、この言えないという事実を自分が抱えていることに気づいていても、自分は変だとか、まったく恥だぜ、とは思わないことを共通の性格の特性にしています。 |
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