[5201-2] 谷川うさ子 2019/06/11(火)19:35 修正時間切れ
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●「労働とは、肉体の繰り返しの行動のことである」。
「多くの人間で行う労働の繰り返しの身体活動は、リズムを生み、快感を覚える」。
◎ハンナ・アーレントは、ナザレのイエスについての説明で、こうもいいます。
●「ナザレのイエスは、ただ、行動の次元での活動は、モラルという「共同性を生む」ことを発見した唯一の人であった」。
◎お分かりのように、「丸暗記」とは、繰り返し、繰り返しの肉体の行動のことで、これは、多数の人間のなかで行う場合には、「倫理」(モラル)の次元での「共同性の意識」をつくる、ということに根拠をおいて実行されてきました。
◎しかし、吉本隆明の「共同幻想論」(角川ソフィア文庫)を読むと、別のことが書いてあります。
●「近代に入り、文明が人々の生活空間を、規範という共同幻想で生きる基盤を形成し始めると、日本語(ヤマトコトバ)のもつ無世界性は、しだいに心と体の病気をつくりはじめた」。
●「丸暗記のつくる行動の繰り返し、繰り返しの反復行為は、稲作文明という近代の共同幻想にたいして逆立ちし始めた」。
●「丸暗記の、繰り返し行動の逆立ちとは、精神分裂病のことである。(長野県にある狐憑きの精神病理のエピソードことだ・・妻が夫にうまい酒をもってこい、とイバリ、着飾って毎日、踊り暮らし初めた、というエピソードのこと)」。
◎「丸暗記」とは、近代の共同世界では、肉体の運動の反復のことで、多数の人間たちで行う行動・・・モラルだけの共同性であるときには、反復の快感を共有できて幸せを感じられていた。(稲作の共同作業、ムラの道路工事、ムラの灌漑作業、第一次産業の漁業、林業、農業などのなかの現場労働など)。
●近代の法秩序のつくる共同幻想の世界では、この繰り返し、繰り返しの身体の動きは、快感とともに、精神分裂病を生む根拠になった。
◎「丸暗記」の病理とは、ポルソナーレのカウンセリングの現場の経験で例をあげると、「常同症」のことです。
●「ガスの元栓を閉めたかどうかが気になる。元栓から離れると閉めていないイメージが思い浮かぶ、そこで、ガスの元栓をじっと見つめることをおこないつづける」。
●「手を何時間も洗う。数を決めて、決めた時間の間、手を洗わずにはいられない」。
●「不潔恐怖症・・・電車のなかの吊り輪にバイキンがついている不安がある。アルコール綿でいちいち消毒してから吊り輪を手で触る」。
●「占いを行う、よい印が出るまで占いをつづけるのを止められない」。
●「玄関の外に出るまでに、ルーティーンのように、決めた行為・・・玄関の引き戸を3回、手で叩き、3歩下がって、足踏みとんとんを10回行い、また、進んで、引き戸を手で4回叩く・・・数が分からなくなれば、初めからやり直して、同じ行動を反復して繰り返す」。
●「職場にいくと、机の上に、鉛筆を並べる・・・必ず、鉛筆をナイフで削り、10本を一列にきれいに並べてでないと、どんなに忙しい仕事が迫っていても、その仕事には取り掛からない、これをもう10年も続けてきている、上司からそういう行為は辞めろと言われても絶対に止めない」。
●「恋人と歩く時、信号の赤で止まる、信号が青に変わった時、自分だけ、3歩進んで、止まる、そこで、5歩、後ろ歩きに下がり、ここで、とんとんとん、と片足づつ地面をかかとでうちつける、そして、また3歩進んで、ぴょんぴょんと両足で軽く飛ぶ、、それから普通に歩き始める・・・恋人はこれを嫌がり、不気味がり、不快な気分ににもなり、なんどもやめてほしいと言った、だが、自分は止められなかった、恋人とはケンカ別れになった」。
●「自分には妻がいる、自分が朝、仕事に行こうと玄関に降りると、妻は急いで出て来て、自分のズボンを引き降ろし、パンツの絵柄のローマ字の数を数える、全部数え終わるまで玄関から出ることは出来ない、遅刻する、と無理に玄関から出て、駅まで走ると、妻は泣き叫びながら後を追いかけて来る、駅の改札口で自分のズボンを引き降ろし、パンツの絵柄のローマ字の数を数える、人の目があろうが、そういう現実への配慮はまったくない」。
◎「丸暗記」とは、こういう常同症の繰り返しの行動の仕方のことです。
●共同性の中での丸暗記は、仕事という共同性と一致しているように思えて、自分がかくべつの病気の行動(常同症)を行っているとは思えない、と誤解している。
●共同性から外れると、その丸暗記は、たちまち、モラルも共同の形も無くなっているので、精神分裂病の「常同症」をむき出しに表す、ここで、常同症の病理の反復の快感だけが脳の中にイメージとともに、ドーパミンを分泌して、繰り返しの行為が病み憑きになる。
●ここでは、ただ繰り返す、という行動の快感を目的にしての行動が止められず、止められない。 |
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