[5204-2] 谷川うさ子 2019/06/14(金)19:41 修正時間切れ
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「このような社会の本質にたいして、適合できない人間は犯罪者と同じ扱いを受ける。それが病理者の定義だ」
「だから、社会に適合できない人間は、当然のように、社会組織から追い出されて、追放される」。
◎哲学の説明をみると、人間が生きるとは、社会あるいは、「多数性、複数性」の共同体に参加することです。
●社会の支配者とは、行動の始まりと終わりとを支配する人のことで、格別に、権力で弾圧するという意味だけを意味しない。
支配者とは、社会に参加する人間のことである。社会参加とは、たんに生きていける、が、権力という言葉の定義であるにすぎない。
「引きこもり」・・・「視線恐怖」・・・「〇〇恐怖症」とは、社会に参加しない人間のことで、組織から脱落して、犯罪者とおなじよう組織から追放されていく人間のことである。
●「ひとりで生きてくなんてできないと・・・泣いてすがればネオンが、ネオンが染みる」(都はるみ、「大阪しぐれ」より)。
しかし、「丸暗記」を行う人は、「ひとりで生きてくなんてできない」とは考えません。
「視線恐怖」と言い方で、「丸暗記」の対象が目には見えていないのに、組織の中で常同症となった同じ行動を繰り返し、この繰り返しで、勝手に解釈したコトバのイメージを幻聴に変えて、「仕事で生きてくなんてどうでもいいわ」と肉体運動の快感から離脱できなくて、しだいに仕事の組織の外に出始めています。
身体は、今、仕事という組織に所属しても、すでに脳に思い浮かぶイメージは、仕事とは無関係な身体の痛み、なにも考えられない無思考の快感、自分だけが孤独、きょうも嫌がらせを受けた、・・・あれこれの現実の問題を思念しています。
◎日本人は、丸暗記で、多くの人が、テクノロジー(パソコン、スマホの画面を見ること)のつくる「疑似組織」から脱落して、「生きてくなんてできないと・・・泣いてすがれば嬉しや幻聴が招く」という社会不適合に突入しています。
◎「ポルソナーレの自己カウンセリング」は、脳の働き方を変えて、仕事の組織のなかで、あるいは、家族とか、身近な人間との対幻想の世界を、健全に生きてくために・・・を狙いと目的にしていることは、すでによくご存じのとおりです。 |
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