[5206-2] 谷川うさ子 2019/06/16(日)19:49 修正時間切れ
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哲学の教えるところをいえば、どういう理由や必要性からスマホ、パソコンの画面を見ていても、その人間は、「引きこもり」と同じように、「行動が止まる」のです。
日本人の「丸暗記」による行動の止まりは、定年から始まっていました。
このテクノロジーの状況では、誰もが、スマホ、パソコンの画面を喜んで一日中、見ているので、10代でも、20代でも、30代、40代でも、いつからでも「行動」は止まっています。
げんに今、報道を見ても、ありとあらゆるところで、人々の行動が止まっています。引きこもり、不登校、ニート、ゲーム依存症、ネット依存症など、は、丸暗記もできなくさせているのが原因です。
理解していただきたいのは、丸暗記とは、視線恐怖などの「〇〇恐怖」をつくる精神疾患の病理であると同時に、哲学の教える共同体の位置からは、経済社会の「雇用の問題」であるということです。
生活保護で生きていく、親の年金を頼りに依存して暮らす、障害者年金で生きていく、ゲームを一日中行い言語障害をつくって生きていく、などのような生活で生きていける、というのが「雇用の問題」です。「雇用できないし、雇用されることはない」というのが、丸暗記の内包する本質です。
すでになんども繰り返し、お伝えしてきているように、ポルソナーレの「自己カウンセリング」のフォーム(Form)で名詞文を手で書く、というのは、名詞イコール社会の中の言葉、仕事の言葉、を、手で書く、のことです。
だから、名詞文をなんとか書こう、とする人は、経済社会の組織に参加している人です。生きていけるという意味で、権力(知的能力の意、です)を持つ人です。
こういう説明もまた名詞、抽象名詞の言葉です。まったく説明が理解できない、あるいは、目にしようとすると、上辺だけの言葉と説明しか見えない、(人の説明の言葉は聞こえない)というのが、「〇〇恐怖」「視線恐怖」です。
すでに丸暗記もできなくなっていて、痛みを伴う疾患がある、イコール、トカゲの脳の快感に浸り、「雇用の問題」か、あるいは、生活保護で生きていこうとしているか、のいずれかが迫ってきています。 |
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