[5287-2] 谷川うさ子 2019/08/30(金)19:44 修正時間切れ
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「自己表現とか会話が不得手な人は、社会のなかで自己肯定感を得にくい。自分は不当な扱いを受けているという恨み、反発を抱く」
「だから、攻撃を受けていると思えば、防犯とか監視システムを今からつくることしかない」
●片田珠美(精神科医)
「一部の人間は、じぶんの考えと似ていると思い、自分の考えを奪われたと思う場合がある。思考奪取という精神症状のことで、これで、自分の行動を正当化する傾向がある」
「自分の人生は終わったと思い、マイナスに心が変化した人は、地域、家族の支えのない孤立しやすい社会環境にいる」
「つまづきを許容し、やり直しのチャンスを与える社会構造に変えていく必要がある」
◎同じ日の日本経済新聞の「大機少機」のコラム欄に、こう書いてあります。
「経済学者、経済官僚は綴り方教室にでも通ってほしいと思うことがある」
●例・ 「企業や消費者の期待成長率が低下していることが、低成長率の要因のひとつだ」と経済学者は書く。
●「そんなはずはない。誰だって、期待成長率はいつも高めであるだろう」
●「言わんとしているのは、予想成長率であるだろう」
●「こういう言葉の遣い方が非常に多い。読んでいて頭がクラクラする」(他の言葉の遣い方の例の紹介は省略)
●「先人が古くからつかってきた言葉を修正する意欲もないのか」
●「専門用語を自己満足で遣っているのか」
◎「大機少機」のコラム氏の指摘の仕方の例に倣えば、ここで吉岡忍、小宮信夫、片田珠美らが言っている「社会」とか「環境」とか「地域」「家族」「孤立」「会話」とはいったい何をさすのか、が問題になるでしょう。
ここには、「京アニ」の容疑者はいません。誰のことを語っているのか、そもそも社会犯罪を犯した人の話のかどうかもはっきりしません。
動機の話も、原因の話もなく、理由の話、根拠の話もありません。
ただ、犯罪を犯すかもしれない人がぼんやりと想定されているだけです。
彼らは、犯罪を犯す以前の個人についてだけしゃべっています。
「綴り方教室にでもかよったらどうですか」と言わなければならない人たちの話を聞かされています。
◎こういう問題は、認知症(痴呆症)、癌、強迫神経症、婦人科系の病気、自己免疫疾患など、などにも当たり前に流通していると理解しましょう。
だから、ポルソナーレの「自己カウンセリング」の知的な能力が誰にも必要であるのです。 |
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