[5290-2] 谷川うさ子 2019/09/02(月)19:42 修正時間切れ
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「学校へは行かなくてもいいんだ」という考え方を、識者の誰かは「自分の不登校の経験」にもとづいて話していました。
これは、「演繹」でも「帰納」のどちらでも、「特殊」という現実(事実)に該当します。
●「特殊」とは。
「一般的ではない」 「常識ではない」 「普遍的ではない」
という意味です。
「学校へは行かなくてもいい」という考え方の「特殊」とは、「人間は200歳までも生きる」と同じです、こう言えば、普通は「それはおかしい」と判断するでしょう。
しかし、日本語(ヤマトコトバ)は、「200歳までも生きる」という「特殊」な考え方をします。
「幽霊になって生きている」 「霊になってこの世にまだまだ存在する」
などという思考のコトバを「ヤマトコトバ」は、言い表します。
じゃあ、その霊たちにも、この令和元年の10月から施行される「消費税」も負担してもらえますか、日本の財政もだいぶ助かりますよね、と責任をもってもらいたいところです。
◎こういう「特殊」なものの考え方とコトバを生み出すのが日本語(ヤマトコトバ)です。
ちなみに、「演繹」とか「帰納」の知的な思考を実行できる能力を可能にするのが「漢字・漢語」の「音読み」とその「意味」の学習です。
また、「学校へは、行かなくてもいいんだよ」という思考のコトバを普通に言うのは、日本語(ヤマトコトバ)の「動詞文」です。
●「日本語」(ヤマトコトバ)の「動詞文」の性格・・・ものの考え方の「特殊」の特徴。
「過去のことしか考えられない」
「明日とか、未来のことは思考できない」
「現実の事実を目で見ることができない」
「しゃべるコトバは、自分の動きのことだけである」(目の前にいる人物のことは見えない・・・目の前の現実を目で見ても、目の前の人の話を聞いても、その事実、話の言葉を必ず誤解する、錯覚する、デタラメに解釈する・・・やがて、目の前の人物など存在しない、と認識する)
「脳の働きの快感原則により、自分の不幸、破綻、破滅をドーパミンの快感のイメージとして喜ぶ」
「他者の不幸、経済的な困難、破綻などの不幸をトカゲの脳が分泌する快感ホルモンのドーパミンの対象としてことのほか喜ぶ」
「モラルの意識が無いか、非常に希薄である」
◎こういうことは、これからまだまだ生きていくうえで、とても不都合なことである、と理解して、なお一層、名詞文の習得・・・自己カウンセリングの指示性のカウンセリングの能力・・・をマスターしましょう。 |
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