[5293-2] 谷川うさ子 2019/09/05(木)19:47 修正時間切れ
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韓国は「全体主義」の国家ではありません。人間が多すぎる、というほどには多くはないからです。
国民の数が多くはない場合の国は、「専制国家」か「独裁国家」のどちらかになります。
専制国家も、独裁国家も、政治形態は違いますが、「自国の人間を殺害しつづける」という本質は「全体主義」の根を持ち、この延長にあるのです。
ポルソナーレは、このように「自分の身近な人間を殺害する思考」を自分の人生の日常で「普通にしている」ことをさして「原始スターリニズム」と定義しています。
これは政治であろうとも、家族の間のことであろうとも、左翼の政治の理念であろうとも、「脳の働き方」の出処は同じだ、という理解にもとづいています。
だから、ポルソナーレの判断では、「5歳の女の子に食事を与えず、言葉でも、身体に苦痛を与えて死なせる」ことと「韓国の老人とか若い世代の人々が生活の経済の困難で、自殺に追い込まれている」こととは同義であるのです。
これは、おそらく韓国の大統領もそうであるように、自分では、自国の国民の大半を殺害しようとか、殺害することを嬉しがる、とは、積極的には考えてはいないはずです。「5歳の女の子」を餓死させた母親は、裁判の場面では泣いていました。
「考えるべき言葉」と「行動のための言葉」とはまったく区別されている、というところに、「全体主義」を生み出す、共通する脳の働き方があるのです。
だから、事件が終わってからは、どんな虐待者の母親も、父親も、そして政治家も、「エルサレムのアイヒマン」のように、「自分は言われたままに行動しただけです、ごめんね。許してね」と「考えるべき言葉」を発言するのです。
映画「ハンナ・アーレント」をごらんになってみてください。アイヒマンがこんなふうに言っているのを観れます。
出処は、「脳の中の言語野」の「動詞文」の「行動の言葉」しか喋らない「言語野」が共通しています。
ここでは、バッド・イメージをつくり、現実の自分、事実、社会のルール・決まり、人間、などを破壊すれば異常な快感のドーパミンが分泌して、中毒になる、依存症になる、という働き方を特徴にしています。
引きこもり、不登校、ニート、自殺、身体の病気、精神疾患などなどは、「動詞文」の「動詞の言葉・・・行動だけのコトバ」にしがみつく脳の快感原則に痺れる麻痺の常同症が発生させているのです。
◎これが、ポルソナーレが「名詞文を書きましょう」とお勧めしているお願いの主旨です。 |
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