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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ポルソナーレ自己カウンセリング研究会・ニューズレター
ポルソナーレ・カウンセリング・ゼミ会員に特化した特別の個人指導通信 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日本人の脳の働き方がつくる認知症の予防・改善のための実践実技をレクチュアします!
───────────────────────────────── 谷川うさ子からあなたへの真実の愛のメッセージ!! 発行責任・全日本カウンセラー協会・ポルソナーレ指導本部=谷川うさ子 (第1期・256号) (令和元年10月14日) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ こんにちは。全日本カウンセラー協会・ポルソナーレの谷川うさ子です。
◎きのうの続きです。
きょうは、ポルソナーレの「自己カウンセリング研究会」の「自己カウンセリング」の実行の仕方の「名詞文を書く」、この基礎の学習です。
●きのうは、「普通名詞の言葉」の学習の仕方を教えました。
「普通名詞名詞の言葉」をどう覚えるか?は、名詞文を書くうえでの基礎になります。
●日本語(ヤマトコトバ)は、動詞の言葉しかありません。
だから、普通名詞の言葉からきちんと憶えなければ、あなたは、今まで長い間、仕事をしてきていても、これからのテクノロジー社会のなかでは、犬・猫まがいの生き方に追いやられる可能性があります。
今年の夏、秋にかけては、自然災害に襲われて大変な生活の困難にぶつかりました。
自然災害にみるように、人間は、いきなり「根源悪」(ハンナ・アーレント)と言われる自然の淘汰に晒される真実を自覚しなければならない摂理がある、ということです。
日本語(ヤマトコトバ)の動詞文とは、自然災害とまったく同じ性質をもっています。
「食欲」と「生殖だけの性欲」の「欲の快感のイメージ」を脳の言語野に表象させて、「名詞の言葉」のつくる現実から逃避して、「名詞の言葉」が作っている現実世界を破綻させるという構造をもつのです。
●「現実」とは、「会社勤めの仕事」「家族との関係」「経済社会」「市民社会」「地域社会」「社会制度」「地方自治体の行政」といったことです。
これらの現実は、すべて「抽象名詞の言葉」でつくられています。
だから、「抽象名詞の言葉」を学習しないということは、かんたんに言えば、家族に病気の人がいても、自分ではそうとは自覚はしていなくても、手をこまねいて傍観者になるということであるのです。
「わたしはそういうつもりはありません」と言う人がほとんどでしょう。
「わたしは、一生懸命に介護をしました」「わたしは、もう何年も親、子どもの世話をしてきましたよ」と言うでしょう。
●しかし、その人たちは、ポルソナーレが教えるカウンセリングとか、免疫療法とか、子どもへの家庭教育を行ってきたのかといえば「わたしには無理」「「わたしは、自分がおかしくなるので、逃げ出しました」と言うでしょう。
「理論的に可能なことは、現実にも可能なことである」とは吉本隆明の言葉です。
ポルソナーレの「社会教育」「精神医学」「性格学」「免疫療法の理論」などの理論と実践の成果は、この「可能である」という実証に裏付けています。
「わたしには無理」と放棄しているのは責めらるものではありません。
しかし、「理論的に、可能である」という「可能」は、「治る可能性」「回復の可能性」を不問にしている真実であることには違いありません。
これは「現実を必要としている」か「現実を必要としていない」(吉本隆明)かの「思考・・・性格・・・ものの考え方」の違いから来ています。
自分にとってもっとも身近な人間を必要としていないという根源のものの考え方が、理論・・・抽象名詞による思考にたいして、「わたしにはムリ、ムリ、ムリ」と言わせるのです。 |