[5351-2] 谷川うさ子 2019/10/29(火)14:37 修正時間切れ
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●日本人といえども、名詞、抽象名詞の言葉の世界(経済社会、政治的社会)で仕事をしたり、福祉や社会保障の保護を受けて、生きています。
名詞、抽象名詞の言葉は、動詞文しか考えられない人にとっては、脳の言語野の働き方が動詞の言葉しか記憶しない、という「ものの考え方」に固まっています。
だから、「花」とか「犬」とか「猫」とか「椅子」「机」などのごく日常にある言葉すらも「名詞文」に書くことができないのです。
●名詞文を書けない、ということは、どういう不幸なことを作り出すのか?をご紹介しているということをご理解していただいているでしょうか。
●ポルソナーレの「自己カウンセリング」は、なんのためにおこなうのか?といえばそれぞれの人の必要によって目的が違います。
「仕事のミスを無くしたい」
「家族とか親戚の人の病気を治したい」
「仕事の能力を伸ばして、自分をもっと成長させたい」
「職場でのイジメを防ぎたい」
「孤独のなかで、誰とも仲良くなれず、誰ともしゃべらない会話のない、励ましあえない寂しい日々をおくりたくはない」
「あまりにも寂しいので、ネットで不安感をまぎらわせながらひとりぼっちで年をとっていく、寝て、食べるだけの老化の人生をおくりたくはない」
「家族は、どんどん病気の症状がひどくなるばかり・・・家族の誰としゃべれば憂鬱、鬱、鬱、鬱・・・の日々を繰り返すだけの変わりのないこの毎日は、なんとかならないのか?」
●こういう目的を解決するのが、ポルソナーレの「自己カウンセリング」です。
●解決するためには、まず、自分は、名詞の言葉(物や事柄)が見えていない、耳で聞いているのに、聞こえていないのである、・・・この事実をしっかり認識しなければなりません。
庭の花を見ていても、じつは見えてはいない、猫を目で見ていると思っていても、それはまやかしの「見る」ということをやっているのである、・・・このことを考えられるようにしなければならないのです。
仕事の中で、名詞の言葉を耳で聞いてはいても、しゃべっている人はもちろん、聞いている自分も、聞こえてはいないのである、ということを内省できなければならないのです。
●ここをほったらかして、名詞文を書こうとしても、自分はなにをやっているのだろう、とわけがわからなくなるのです。
疲れているからもうきょうは止めた、辛くなるばっかりで、面白くもなんともないよ、と、面白い遊びに逃げ出したくなる・・・眠るとか食べるとかの、逃避の誘惑に引き寄せられて病的に安心するでしょう。
●脳細胞は、廃用萎縮で、どんどん死滅して減っていくばかりです。
◎明日に続きます。 |
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